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青鞜とブルーストッキング

「原始、女性は実に太陽であった」

 日本初の女性による女性のための文芸誌、平塚らいてうによる「青鞜」の有名な創刊の辞の冒頭の文章です。私は、つい最近まで、このワンフレーズしか知らなかったのですが、

 『原始、女性は実に太陽であった。真性の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である(以下、略)』

 と続くようです。いや、もしかすると、どこかで、この文章を見たことがあって、「私も太陽みたく輝かなくっちゃ!病人みたいな月のままではいられない!」なあんて、思っていたのかもしれません。そのくらい血気盛んでないと、社会に乗り込んでいけないっていう部分もありますしね。
 「青鞜」が創刊された、明治時代(1911年)は、今とは比べようのないくらい「男尊女卑」というのか厳格な家父長制の時代だったのでしょうから、このくらい声高に「女性は太陽だったのよ!」と宣言しなくてはならなかったのだと思います。
 それから、ほぼ100年を経て、女性の社会進出度は格段に上がり、太陽みたいに輝いている女性を社会の中で見る機会は増えました。でも、これからは、女性性を保つために、月の部分も見直されていく時代に入っていってほしいな、とも思います。

 月は決して、無用の長物ではありません。地球の周りを月が衛星としてまわっているという状態は、奇跡的な偶然で、その奇跡によって、潮の満ち引きが生まれ、生命が生まれました。もちろん地域差はありますが、私たちが美しい自然の中で、安定した生命維持をできているのも、月が地球の地軸を安定させてくれているから。女性は、生物的に男性より月の影響を受けているような気がしますが、女性だけでなく、男性も月の影響を受け入れて、両性の一人ひとりが、男性性と女性性のバランスを取れるような時代がくるといいな、と思います。


 ところで、「青鞜」という名前は、18世紀のイギリスで、女性も参加できる知的な会話の場として存在した文芸サロンの名前ーブルーストッキングーを由来としているのだそうです。どうして、このサロンが「ブルーストッキング」と呼ばれていたかというと、常連の女性が青い靴下をはいていたことからきているのだそうですが、世の人々、特に男性が「ブルーストッキング」というと、肯定的というよりは、どちらかというと、「頭でっかちな、やな女(の集まり)」的な否定的な意味合いが濃かったようです。当時のサロンの常連であった女性が、何らかの明確な意図、主張を持って青い靴下を着用していたのか、はたまた単純に青い靴下が好きだっただけなのかは、今となっては知る由もありませんが、頭に乗せる帽子ではなくて、いささかセクシャルな意味合いを含む「足」の先まで、知性的なブルーで包んだというのには、意識的であれ、無意識であれ、異性に対する抵抗というのか、挑戦のようなもの、あるいは「私はここに、会話をしに来てるんだからね!」という意思表明のようなものを感じてしまいます。

 それにしても、「ブルーストッキング」を「青鞜」と訳したのって誰なんでしょうね、さすが、文芸誌、なんだか文学の匂いがしますよね。「青鞜」が「青靴下」というタイトルだったら・・・、ここまで、歴史に残らなかったかも!?なんて思った私でございました。
 

by sound-resonance | 2010-05-08 21:50 | 音・色あれこれ