紫のゆかり 

 今日も、志村ふくみさんの「色を奏でる」から・・・

 『紫式部というひとは、ほんとうに紫根を染めたことがあるのではないかと、ときどき私は考える。その当時の宮廷の女性は、染殿などで山野から摘んできた草花や外来の植物で、実際に染めていたようである。
 紫の上はとくに染色が上手だけれど、花散里もなかなかいい色を染める、と源氏がほめるところがある。
 じっさい「源氏物語」は、その真髄ともいうべき部分が、紫という一つの色彩で組み立てられている。物語は紫とともに進行し、運命をともにする。父桐壺帝をはじめ、母の桐壺の更衣、藤壺、その姪である紫の上など、すべて紫のゆかりの人々をひきそろえ、その中心に光り輝く源氏の君をおく。
 紫と黄はお互いに映え合う絶妙の補色関係である。
 紫草の根が万葉のころより染められ、歌によまれ、「古今集」などでは、「紫のひともと故にむさしの野の/草はみながらあはれとぞみる」とうたわれていたことを思うと、古代の人々は紫草の根で染めた布や糸を紙につつんでしまっておくと、その紙にしみこんでうつってしまうことをよく知っていたのであろう。
 その当時の人々が、紫という色をもっとも高貴な、理想の色として考え、物語の中にもしばしば衣装や調度の色彩として登場させているが、「源氏物語」のように人物の性格や運命と深くかかわり、物語全体の骨子としての造形的な力を、一つの色彩にあたえるということは、世界にも希有なことではあるまいか。
 紫式部という人が、色彩、とくに紫という色の奥にひそむ神秘的な力と、それを感得する人間の魂の在り方を一つの長編小説に構築する天才的な能力をもっていたということであろうか。
 紫草の根をもみ出して染液をとり、その液で染めたものを、椿の灰汁で媒染すると美しい紫色が得られる。そのとき、六十度以上に液を熱すると、たちまち美しい紫は影をひそめ、鈍い灰色がかった色に変化してしまう。その色を滅紫、けしむらさきともいう。
 幻の巻から雲隠れと、紫の上と源氏は相次いで滅紫の世界に消えてゆく。滅紫は、鈍色、喪の色につながる。紫草の生物としてのなりゆきと、物語の進展と終焉が、このように結実していることにも、紫式部の天びんの資質を思わずにはいられない。』

 染織家として、日々自然の色と携わっておられる志村ふくみさんも感覚的に「源氏物語」が色によって構築された物語であることに気づかれているんですね。
 紫という字は「ゆかり」とも読みます。紫=ゆかり=縁。「源氏物語」は、光源氏という個性が、生涯にわたって出会う人々と縁を結び、そしてほどいていく、人と人の「間(ま)」に起こる物語を描いたものなのかもしれませんね。
 人と人の「間(ま)」には苦しみや喜びなどの両極端な感情がうずまきつつ、それが「うつろうもの」であると気づけば「癒し」がやってくるのだと思います。まあ、なかなかそんな心境にはなれませんけどね・・・だから光源氏も一生のほとんどを「色恋」の世界に生きたわけで・・・「色恋」を超えた「愛=間」の世界に到達するには、まだまだ修行が必要、か、な!??
 
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by sound-resonance | 2010-09-14 00:47 | 色で読む源氏物語 | Comments(0)