干し柿

 透音パパお手製の干し柿。
 皮をむいた縦の筋に白い粉がうっすらと吹いて見事な模様になっています。お正月に実家に帰った時に見た途端「綺麗・・・」とうっとり見入ってしまいました。まさに芸術。美しいです。しかも、美味しい。
 かなりの量があって、一人でむくのはさぞかし大変だったと思うのですが(しかも本人はそれほど量は食べません)鈴なりの渋柿がそのまま誰にも食べられず放置され、朽ちていくのをそのままにしておけなかったのだということ。時間を惜しんで皮をむいて、ひもにつなげて、干して、ある程度乾いたらひもから外して、箱に入れて、時々ひっくりかえしたりもんだりする・・・大変な手間、だと思うのだけど、父曰くそれって、何にでも愛情をかけてお世話するっていうこと、なんだそうです。「何でも愛情なんだよ」と。
 うーん、なんだか、深い・・・。
 もっぱら私は食べる専門ですが、友人にもせっせとお裾分け(というのか、押しつけ!?)して、それを父に報告して、結果的に人に喜ばれていることが父の喜びにもつながるようです。ホントに人は持ちつ持たれつ、ですね。
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 最近、マゼンタと赤の関係を考えています。マゼンタって位置的には「第8チャクラ」なんて言われていて、頭の上にあるようになっているし、すべての色を含むということになっているけれど、色的には、限りなく赤に近い。赤にほんの少しのブルーが入った色です。自然と密接に直接かかわりながら、生きていた昔の人達って、「生活=生きる=レッド」の中にもっと「愛(=マゼンタ)」が密着していたんじゃないか、そんな気がするのです。動物しかり、植物しかり、自然から何かをいただいても、「もったいない」から使いつくす、モノを大切にするっていう発想って、けちだとかひもじいから、とかっていうより、やっぱり愛からの発想だったんじゃないのか、と。とはいえ、やっぱりひもじいというせっぱつまった理由もあったかもしれませんが、少なくともそれだけではなかったような気がするのです。
 私の父は、渋柿を捨て置いても、食べるには困りません。それでも、柿をとってきて、むいて、つるして、干してせっせと干し柿を作ります。愛情を注ぎます。そこに食べるアートが完成します。生活に密着していて、さくさくと消費(主に私に、ですが(笑))されていくものがいちいちこんなにも美しい、こんな豊かで贅沢なことはありません。
 これを贅沢とは呼ばない人もいるかもしれませんが、こんな贅沢が私は大好きです。干し柿から愛を学んだ、そんな年始め、なのでした。
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by sound-resonance | 2012-01-31 22:11 | 音・色あれこれ | Comments(0)