りんごの中の宇宙

ちょっと前のことになりますが、ひょんなきっかけで、デッサンの会に参加することになった事がありました。
実のところをいうと、私は絵を描くのが大の苦手。視力があまりよくないということもあるのかもしれませんが、普段の生活の中で、モノをその輪郭でとらえているというよりは、色でとらえていることが圧倒的に多い。輪郭をキャッチすることそのものに対する苦手意識がとてもあったりします。

デッサンというと、モノの輪郭を鉛筆で浮き上がらせていく営みというイメージがあって、そういう苦手意識が影響していたんでしょうか、「行く」と決めたものの、電車を遠回りし、迷子になり、会場に大幅遅刻で到着。

その日のお題は「りんご」。

一人につき1個の赤いリンゴと白い画用紙、硬さの異なる数本の鉛筆、消しゴムを手渡され、さあ、どうぞ、と言われ、後は放置。
遅刻した動揺もおさまらないまま、息も整わないまま、真っ白な紙と、赤いリンゴを前に、しばらく放心。

放心時間があまりにも長かったんでしょうか、先生が、まずは、お茶でも飲みますか、そうだよね、来たばっかりだもんね、などと、世話を焼いてくださろうとするところ、大丈夫ですよ、と言ってはみたものの、最初は正直ちょっぴり途方にくれました。

まだ私の中では、白い紙と、赤いリンゴと、黒い芯の鉛筆はそれぞれに、関連のないばらばらの個体で、でも、これをなんとか「融合」しなくちゃいけない・・・・
うひょ〜、これは、相当集中力がいるな、大丈夫かな、高校の時、美術の先生が、モノは線でとらえちゃいけない、面でとらえるんだって言ってたな、とか思いながら、とりあえず、なんとなーく、鉛筆でふわっと丸を描いてみたりなんかする。
午後の光が部屋に差し込んでいて、リンゴの影が伸びている。影でも描いてみれば、ちょっとでも立体的になるかと思い、ふわっとした丸に影をつけてみる。

そんなこんなで、なんとか「リンゴ」を描こうと、しばらくは努力をしていたんですが、ある瞬間から、そういうことがどうでもよくなってきて、どうしても、白い紙の上にシンメトリーな世界を構築したくなって、実際にはありもしない「影」を実際の影の反対側に入れてみました。

その辺りから、私、俄然「自由」になりました。

もう、どうでもいいや、とばかり、「自分に見えてる世界」を描くことに集中すると、リンゴの中に、この夏に旅したモンゴルで見た満天の星空が広がっていました。そこからは、夢中で、リンゴの中の宇宙と向き合い、気づいたら、教室の時間が終わっていました。

たぶん、私のこういう態度って、「デッサン」する王道からは外れると思うので、先生からの批評、批判は覚悟していましたが、「個人的には、とても興味深い」とおっしゃってくださいました。もう少し書き込めば、モノクロの世界の中に、色彩が見えるようになるよ、と。

アカデミックな絵画を学ぶには、素描をしっかり学ぶことが必要です。ピカソの絵は誰でも描ける、なんて、言われますが、彼の初期のデッサンは、驚くほど正確で、その正確さがあるからこそ、人生の後半にあのシンプルな、かつ、誰が見ても「ピカソだな」とわかるオリジナルなラインを表現しえたのだと思います。

でも、誰もがピカソになる必要はないのかもしれませんね。たぶん、表現するって、人によって様々な方法があるんだと思いますが、自分が「見たいように見ているんだ」ということを自覚しつつ、見ちゃったものを表現しちゃえば、存外楽しいのかもしれません。
リンゴの中に宇宙があってもOK.デッサンに対する苦手意識は依然消えないけれど、ほんの少しだけ、ハードルが下がったような気もした一日だったのでした。

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by sound-resonance | 2015-10-18 21:13 | 音・色あれこれ | Comments(0)