三位一体の文楽

 私は、関西圏に住んでいて、今は、国立文楽劇場にも下手すると歩いていけるくらいの場所に住んでいるので、文楽もたま〜に見に行ったりします。

 人形と、太夫さんの語り、三味線が一体となって、演じられる総合芸術。一体の人形に、3人の人がつくという、超贅沢な方法で、微妙な情感を表現します。なんで、わざわざ3人も人使って、人形を動かすんだろ、人が演じる方が簡単なのに、っていう素朴な疑問を投げかけられたことがあったけれど、人形は歳をとらない(笑)。時を超越した美しさは、人形ならでは。それを、あえて一人の人が「遣う」のではなく、三人の呼吸を合わせて「遣う」ことで、人を日常世界とは違う「物語」の世界に引き込んでいく、不思議な魅力があります。

 最初のうちはどうしても、舞台(人形)の方に目がいってしまうんですが、そのうち、太夫と、三味線の方が気になり出します。通になると、目を閉じて、太夫の語りと三味線を堪能する方もいるのだとか。

 私も、最初の頃は、人形、特に娘人形の衣装の美しさに目を奪われていたんですが、(柄×柄の日本の重ねテクニックには、いつも驚愕させられます・・・)、そのうちに、太夫の語りと三味線に注目するようになりました。先に西洋音楽に慣れてしまっている耳には、三味線は語りの伴奏、のように聞こえてしまっていたんですが、ある時(ちょうど、竹本住太夫さんの引退公演だったと思います)、太夫と、三味線にかぶりつき状態の席でたまたま鑑賞していて、三味線が、太夫の単なる伴奏なんかじゃない!ということに気づきました。
 太夫と、三味線は、あくまで対等の存在で、もちろんペアリングによっては、どちらが若干主導気味とか、あるのかもしれませんが(笑)、絶妙の呼吸で、語りと三味線の音色が「掛け合う」と、そこには、呑み込まれてしまうような、呑み込まれていたいような、とてつもなく、気持ちのよい空間が醸し出されます。正に、あ、うんの呼吸ってこんな感じなのか?みたいな・・・・最後の場面(段)で、大勢の太夫、三味線が出てくることもありますが、通常は、1場面(段)を、太夫、三味線が一人ずつで進行していくので、状況説明から、その場面に登場する人物の全員を一人の太夫が語り分ける訳ですが、言葉はなくとも、三味線もまた、状況説明から始まって、その場面に登場する人物全員の情感を「語って」いるんですね。

 そういうことに気づき出すと、確かに、太夫と三味線に目が釘付けになってしまうんですが、太夫と三味線は、あうんの呼吸で「掛け合って」、二人だけの世界を築いているんではなくて(笑)、舞台の人形の動きとも、絶妙に「合って」いるわけです。例えば、娘が何かせりふを語っている時には、娘の人形の動きと、太夫の語りと、三味線が、ぴたっと合っていたりなんかする。人形は三人で動かしているので、少なくとも、そこでは、五人の息が「合って」いるわけです。もちろん、舞台上に人形が一体ということはほぼないから、そう思うと、一体何人の息が合っているのやら・・・・
 もちろん、出演者同士の息の合った芝居っていうのは、見かけることがあって、それはそれで、気持ちよく何かしら、別空間に引き込まれるような感じもあるけれど、例外的に頭遣いが顔を出していることもあるけれど、基本的には人形遣いは黒子に徹し、太夫が一人で一場面全部を語るとはいえ、太夫の独壇場ではなく、三味線が対等に「色」を添える、その独特の分業の上で成り立つ別世界感って、人間の演じる演劇とは全然違う「物語世界」だな、って思ったりします。

 動員数が取りざたされたこともあったけれど、人形が見える範囲って限られた空間で、そんなに大きな劇場では公演が難しいですよね。少々古い建物で、身体の大きい人にはゆったり、という訳にはいかないかもしれませんが(笑)国立文楽劇場くらいのこじんまりした劇場で見るのがオススメですよ。

 現在、一一月公演が国立文楽劇場(大阪)で、公演中です。興味のある方は、ぜひどうぞ。

文楽劇場HP
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by sound-resonance | 2015-11-05 20:24 | 音・色あれこれ | Comments(0)