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怖い絵展を見に行ってきた その2

前回のつづきです。

今兵庫県立美術館で開催中の「怖い絵展」の一番のウリというか、見処というのはなんといっても「レディ・ジェーン・グレイの処刑」という絵。チラシや看板などにも大々的に取り上げられています。この絵が日本で公開されるのは、今回が初めてなのだとか。1833年、ポールドラローシュの作品です。
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思ったより、でかい。

チラシやなんかで見てると、大きさの見当がつかないこと、プラス前半は版画やなんかの小さい作品も多いので、この絵も案外小さかったりして・・・なんて思ってたんですが、想像以上に大きい絵で、この絵は、行列に並ばなくても遠目からも見れます(笑)

レディ・ジェーン・グレイとは、イギリスの王位(権力)争いに巻き込まれ、女王の座についたものの、対立体制に女王の座を追われ、処刑された女性。彼女の在位期間はわずか9日間だったといいます。彼女の次に王位についたのが「ブラディマリー(メアリー)」として知られるメアリー女王で、彼女が熱狂的なカソリック教徒であったため、プロテスタントは激しい弾圧にあいました。

ジェーン・グレイが王位に就いたのは、15歳の時。王位を追われ、ロンドン塔に幽閉された後、反逆罪で処刑されたのは16歳です。絵の方は、彼女がいよいよ斬首されるという場面を描いています。

まず目を引くのが彼女が着ている純白のドレス。シルクサテンのような艶のある生地のドレスは、そう遠くない瞬間にはこの白いドレスが彼女自身の赤い血で染まるのであろうことをいやが応にも想像させます。ドレスは襟元が大きくはだけられ、首があらわになっています。長い亜麻色の髪も首を切りやすいように片方に流されています。同じく白の布で目隠しされている彼女は、自分の首を載せる台を手探りで探しています。その手の薬指には結婚指輪がはめられていますが、この指輪こそが、彼女を処刑という運命に導いた政略結婚の証なのです。

こ、怖い・・・

脇には、彼女が直前まで身につけていたのであろう宝飾品を手に嘆く侍女、柱に寄りかかって泣き崩れる侍女、けなげに断頭台を探すジェーンを支える男性、首切り役人の姿も描かれています。

まあ、確かにこの絵は、この絵の背景がわかると怖さが増しますね・・・・

でも、もうひとつ怖いと思うのは、この絵に「演出」が入っている、ということ。昔の話なので、真相は定かではありませんが、実際の処刑時のジェーンは、このような純白のドレスを着ておらず、目隠しもされていなかったという風にも言われているのだそうです。確かに、幽閉されてからの処刑なので、わざわざこんなシルキーなドレスで処刑されるとも思えない。彼女自身の血で赤く染まるのは何よりも白いドレスである方が、彼女の衣装が結婚衣装を連想させる方がより、そして、彼女が目隠しをされている方がより、悲劇性が増し「怖い」、この「演出」を画家が意図的に行ったのか、画家の旺盛な「想像力」なのかは定かではありませんが、そうやって、「作られた」ビジュアルが、史実を変えていく、というか超えていく感じが、面白いともいえるし、怖いともいえるな、と思いました。

「怖い絵」の著者、中野京子さんが、怖い絵というテーマで本を書こうと思ったきっかけになったのが、マリーアントワネットの処刑直前の様子を描いた1枚のスケッチだったのだそうです。
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走り書きのような極めて簡素なスケッチの中に、画家の悪意のようなものが垣間見えて、それが「怖かった」のだそう。確かに、栄華を極め、贅沢の限りを尽くしたとされているマリーをもう少し「美しく」描くこともできたでしょう。でも、画家はそうしなかった。そして、それがマリーアントワネット最後の姿として、後世に語り継がれていくのです。

他にも、ヘビに自分を噛ませて自殺したというクレオパトラが、裸ではなく、着衣だった、とか、絵画によって、史実とは違ったイメージができあがった例というのはたくさんあるようです。そうやって伝説って生まれていくのだなあ、みたいな・・・(画家、もしくは鑑賞者のエロチックな欲望を満たすための絵画の存在も感じましたが、この件については、またの機会に)本人の意図とは無関係な場所で、フィクションがさもノンフィクションのように語られていく様が怖いな、とも思ったのでした。

「レディ・ジョーン・グレイの処刑」の絵は最後のお部屋にあって、私がその絵を至近距離で鑑賞できた時には、すでに閉館間際、それでも、まだまだ人は引かず、最後は警備員さんの丁寧な言葉遣いながら追い出しに追われる形でちょっとずつ人が引いていきましたが、閉館ぎりぎりいや、閉館時間を過ぎてもなおあんなに人の残っている展覧会というのも初めてでした。自分のペースでなかなか鑑賞ができないので、余裕を持った入館をおすすめします。ちなみに、普段は10時から18時までですが、金、土は、20時まで開いてますよ。

夏と恐怖はつきもの、冬の開催ならあんなに人が入らなかったような気もしますが、絶叫マシーンとかお化け屋敷的爽快感を求めて、展覧会に行くとえらい目にあいます。どちらかというと、やりきれない、とか、やるせない、とか、後味悪く心理的にビシバシくる作品もありますので、その辺りはご覚悟を。

「怖い絵展」兵庫県立美術館 9月18日まで


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by sound-resonance | 2017-08-19 19:19 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

怖い絵展を見に行ってきた

兵庫県立美術館で開催されている「怖い絵展」を見に行ってきました。

中野京子さんのベストセラー「怖い絵」発売10周年を記念した人気の展覧会とはいえ、お盆あけの平日、午後2時過ぎ、このくらいの時間帯だとさすがにすいてるだろう、とタカをくくり美術館に到着するも、なんとチケット売り場に長蛇の列。待ったり並んだりということに極度に耐性のない私、チケット買うために並ぶ気になれず、ちょうど同じ美術館でやっていた「ブータン展」を見ることに。

なんで、いきなりブータン!?つい数分前までブータンのことなんて頭に露ほどもなかったのに、と思いつつ、そういえば、この国の王様と王妃様って美男美女カップルだったよね〜、なんて思いながら、楽しく鑑賞。ま、その話は気が向けば書きますが、ブータン展を見終えて、会場を出てきたら、列のできていたチケット売り場から列が消えておりまして、お、これはいけるかも、なんて思い、ついついふらふらとチケットを買ってしまったのでありました。やっぱり、ブータンじゃなく(いや、ブータンはブータンで面白かったんですが(笑))、怖い絵を見に来たんだもんね、後ろ髪引かれる思いで帰るよりは、目的の展覧会を見て帰りたいですよね。

その時、すでに午後の4時。美術館に行くと、ゆっくり見たい派なので、美術館にこんな遅い時間から入ったのは初めてです・・・午後5時閉館の美術館が多いですが、兵庫県立美術館の怖い絵展は、午後6時までやっています。

だがしかし。午後4時過ぎだというのに、中に入ってみると人がうようよ。大きい油絵だと遠目にでも鑑賞できるんですが、版画とか小さくてしかも白黒の作品もたくさんあるので、近くに寄らないと、絵が鑑賞できない。となると、必然的に列に並ばなければならない・・・・うーん、混んでる美術館って、ストレスがたまりますね・・・・絵を見るのも好きだけど、広くて静かなのが美術館のいいところ、なのに・・・・この前に「ブータン展」を2時間ほどかけて鑑賞しているのもあり、足は痛いし、集中力の途切れる中、人も多いし、もう、いっか、みたいな投げやりな気持ちになりつつ、1つ、見たい絵がありました。

それは「ビール通りとジン横町」という絵。絵というより版画ですね。
この版画のことは、「ボンベイ・サファイア」というジンを買った時に知ったんですが、幸せ・健康の象徴としてのビールと、貧困と不道徳、不健康の象徴としてのジンを対比させた版画です。

左がビール通り、右がジン横町。
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この版画の作られた18世紀当時、ビールには高い税金がかけられており、その「高い酒」を飲むことができるのは比較的裕福な人たちだけだったんだそうです。

それに比べてジンは税金のかからない安いお酒、ビールを買うことのできない貧困層はこの酒を買うしかないわけです。しかもアルコール度数が高いので、すぐに酔える。働けど働けど、ちっとも楽にならない生活、苦しい現実を忘れるために、アルコールの高いジンを浴びるほど飲む、酔っぱらって、何がなんだかわからなくなってとんでもないことをしでかして、さらに転落人生。貧困のスパイラルからは決して脱することはできないのです。

こういった当時の事情から、ジンは「安酒」「不道徳な酒」みたいな悪いイメージがついちゃったわけです。実は私も先日「ボンベイサファイア」の記事を書いた際、「透音さん、ジン飲むんだ、なんか意外」と言われたことがありました。まあ、「イメージにぴったり♡」と言われるよりはいいんですが(笑)、ちょっとジンがかわいそうな気もします・・・・。でも、確かにこの版画を見ていると、「ジン、怖い・・・」みたいな気になってきちゃいますよね・・・というのか、当時のジンの扱いがよくわかる感じがします。しかし、ジン横町の方ばかり気になって、ビール通りの方がどうでもよく思えちゃうのはなぜだろう・・・(笑)
「ジン生、いろいろ」なんていう、中野京子さん自らのキャッチフレーズが添えてありましたが、この版画、どう見ても、ジン横町が主役だよね・・・

というわけで、見たかった版画を生で見れたのはよかったんですが、この展覧会の一番の見処はここではありません(笑)もっと注目するべき大作があります。というあたりで、つづく・・・・
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by sound-resonance | 2017-08-17 21:49 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

リボンの騎士と初音ミク

宝塚にある「手塚治虫記念館」で開催されている「初音ミク×手塚治虫展ー冨田勲が繋いだ世界ー」をみてきました。

冨田勲さんというと、私にとっては新しい音を求めて、シンセサイザーをいち早く日本に紹介し、クラシック音楽をシンセサイザーの音で表現した人。20歳頃まで電子オルガンを習っていたこともあったのかもしれませんが、オーケストラが奏でる古典的なクラシック音楽よりも、むしろ最初に積極的に意識的に聴いたのは、冨田さんの電子サウンドによるクラシックの方だったかもしれません。「展覧会の絵」とか「はげ山の一夜」とか、宇宙的な広がりを感じさせる電子音が奏でるクラシックをわくわくどきどきしながら聴いていたのを覚えています。

1990年代の日本の歌謡曲界に一大ムーブメントを起こした小室哲哉さんも、冨田勲さんの電子音楽に大きな影響を受けたのだとか。

以前かのスティービーワンダーが姫路の妙珍火箸の音色を「東洋の神秘」だとほめ称えたという話を書いたような気がしますが、スティービーワンダーも、冨田さんのファンで、冨田さんが、妙珍火箸の音色を楽曲に使用していたところから、妙珍火箸のことを知ったようです。シンセサイザーの音色の「新しさ」だけではなく、新しい音に対する探究心が半端ない方だったんだろうな、と思います。

2012年には、宮沢賢治の世界観を音楽で表現した「イーハトーヴ交響曲」の中に「初音ミク」を登場させました。

「初音ミク」というと、歌詞とメロディーを入力して「歌」を歌わせることのできるソフトおよび、キャラクター。商用目的でなければ、誰でも肖像を使用していい、というところから、ニコニコ動画などで、プロアマ問わずクリエーターが創作した「初音ミク」が歌う動画がアップされたことで、爆発的な人気が出ました。パッケージに描かれている「初音ミク」は6頭身くらいですが、2.5等身の「はちゅねミク」などの2次創作キャラも生まれました。今では2次元の世界を飛び出して、3次元の「初音ミク」がコンサートを行ったりしていて、初音ミクの活動範囲はどんどん広がっています。

「初音ミク」については、面白いなあと思ってこのブログでもいつか取り上げたいと思いながら、切り口が難しくてなかなか手が出せずにいたんですが、今年10周年を迎えるんだそうです。そうか、もう10年もたっちゃったんだなあ・・・・発売当時の彼女の年齢は16歳。でも、バーチャルアイドルだから、10周年を迎えても、永遠の16歳ですね。

常に新しい音の可能性を探し求めた冨田勲さんは、初音ミクに宮沢賢治の妹、トシのイメージを重ねたのだそうです。

「ミクを見ていると、賢治の世界から出られぬまま逝ったトシの哀しみをつい思ってしまう」そう、冨田さんは語ったのだとか。先ほどミクはバーチャルアイドルだから、永遠の16歳だと書きましたが、ミクの存在は、バーチャルであるが故に、永遠でありながら、どこかはかなげです。どこかの時点で時が止まってしまって、そこから先には行けない、でもだからこそ、永遠、みたいなそんなはかなさを、冨田さんはミクとトシに見たのでしょうか。

トシの面影を感じさせつつ、初音ミクはソリストとして、「イーハトーヴ交響曲」の中で歌い、踊ったのです。

そんな冨田さんのイメージと、手塚治虫って、最初は結びつかなかったんですが、冨田さんって、テレビドラマやアニメの主題歌、テーマ曲なんかもたくさん作っておられるんですね。手塚治虫作品のテーマ曲もたくさん手がけていて、例えば「リボンの騎士」、「ジャングル大帝」、「どろろ」なんかが冨田さんの手がけた曲なんだそうです。というわけで、さきほどの「イーハトーヴ交響曲」の中でも、初音ミクが、リボンの騎士に扮して、リボンの騎士のテーマ曲も歌っています。

展覧会の方では、初音ミクが歌う「リボンの騎士」の3D映像を見ることができます。初音ミクというとツインテールがトレードマークですが、リボンの騎士バージョンでは髪の毛を後ろにひとつにまとめてます。こういう初音ミクもけっこうレア、かも。

現代のイラストレーターさんが、初音ミクを手塚治虫さんの各作品の中に登場させたイラスト、も面白いですよ。

小規模な展覧会なので、それだけを見に行くにはちょっと物足りない感じもあるんですが、周辺の飲食店とのコラボで、初音ミク(ファミリー)をイメージした飲み物、スイーツ、ご飯もあったりするので、そういったものも楽しみがてら、行ってみるのもいいかもしれません。また、これは常設ですが、手塚治虫さんの作品を読めるライブラリーコーナーもあるので、手塚作品一気読みのいい機会かもしれませんよ!?

ちなみに、展覧会は一部をのぞき、撮影OKです。私はその日、スマホを忘れちゃって写真が撮れませんでしたが(泣)、行かれる際にはスマホを忘れずに(笑)

「初音ミク×手塚治虫展ー冨田勲が繋いだ世界ー」10月23日まで



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by sound-resonance | 2017-08-05 20:46 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

黄泉の花 その2

先日「黄泉の花」という舞踏を観た、という話を書きました。

ウィキペディアによると、黄泉というのは、「よみ」という音に漢語の「黄泉」という漢字を合わせたものなのだそうです。黄泉の「黄」は、五行のうちの「土」を表していて、古代の中国人は、死者の世界が地下にあると考えていたことから、土の下=地下=死者の国となったそうです。

これも、ウィキペディア情報で恐縮ですが、西洋的なダンス、例えばバレエ、が、ピルエット・跳躍などのテクニックにより天上界を志向するのに対して、舞踏は、床や地面へのこだわり、蟹股、低く曲げた腰などによって下界を志向するとありました。

思えば、このように「下界、地面(土)」にこだわる舞踏が、土蔵の中で展開するというのは、とても興味深いです。

土蔵は、元々モノを収納するための倉庫、その季節、その時期には必要のないモノをしまっておくための収納庫で、人の生活する場所ではありません。窓のない入り口以外に外との接点がない閉鎖空間。悪さをした時に罰として閉じ込められる場所。幸か不幸か私は土蔵に閉じ込められたという経験はありませんが(そもそも土蔵のあるような家って限られますよね・・・)、押し入れの中に潜り込むのはけっこう好きでした(笑)狭い場所に閉じ込められるというのは、恐怖と共に、どこか安心感もあったりしませんか?
土で作られた蔵、その狭い空間、閉じられた空間は胎内回帰を疑似体験できる場所でもあるのかもしれません。そんな場所で、土、地面を志向する舞踏を見ることは、胎内回帰、胎内巡りを踊り手と観客が共にすること、かもしれません。

そう思うと、「黄泉の花」という演目も意味深に思えてきます。土蔵で、「黄泉の花」という舞踏を見るということ。それは、死と再生の通過儀礼そのものなのかもしれません。


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by sound-resonance | 2017-07-30 22:12 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

黄泉の花

京都にある舞踏館で「黄泉の花」という舞踏を見てきました。

舞踏館とは、2016年に京都にオープンした舞踏専用の劇場。日本発祥の前衛的な舞踊である「舞踏」は、その独特な様式から、海外でも「BUTOH」として知られていて、見たいというニーズは高いものの、そのニーズに応えるだけの公演数がなかなかなく、見たい人が見れないという状況があったのだそうです。そんな状況を解消し、コンスタントに舞踏を上演し、「京都に行けば『舞踏』が見れる」という状況を作ろうということでオープンしたのが舞踏館です。江戸時代後期に建造され、蛤御門の変の災禍をかいくぐったという歴史のある土蔵がそのまま劇場として利用されています。舞踏専用の劇場というのは、世界でもここだけなのだとか。

元々土蔵というこの劇場。席数がなんと8席!1回の公演を8人しか見ることができません。ステージがあるわけではなく、目の前で舞踏が展開されるまさに濃密な空間で、舞踏を体感することができる希有な劇場です。

私が見た時には、8人中6人までが外国の方でした。お話しなかったので定かではありませんが、おそらく観光客の方でしょうね。さすが国際的観光都市、京都。「BUTOH」の世界的な知名度も感じました。というか、むしろ日本発祥のダンスでありながら、外国での方が有名なのかもしれませんね。

私も舞踏については、以前から薄々は知っていたものの、生で見たのは初めてでした。というか、舞踏ってちょっと怖いイメージがあって、敬遠気味だった・・・・というのは、最初に見た舞踏がトラウマになっていたから。

私が最初に舞踏というダンスを意識したのは、映画でした。もう20年以上前になるかと思いますが、浅野忠信さん主演の「ねじ式」という映画の中で、主人公が見る悪夢の中に、確か暗黒舞踏のアスベスト館の舞踏が出てきたんです。その舞踏が、まさに悪夢。悪夢なんだから、観客に悪夢を感じさせるまさに秀逸なダンスだった訳ですが、そのダンスが秀逸すぎて、悪夢すぎて、なんだかもう、舞踏そのものが悪夢、トラウマになってしまったんでした・・・・まあ、「ねじ式」自体も、アングラの代表みたいなシュールなお話だし、ちょっとトラウマになりそうな内容ではあるんですが(浅野忠信さん、かっこいい!みたいなミーハーな気分で見にいくと偉い目にあう映画ではありました(笑))、その中に出てきた悪夢としての舞踏は、まさに悪夢。ま、出会いが悪かった!?ですね・・・・(笑)

というわけで、なんとなく敬遠してきた舞踏だったんですが、20年の時を経て、生鑑賞、土蔵の中の、至近距離の間近すぎる「体験」とも言える鑑賞に至ったわけでございます。

ストーリーがフライヤーやなんかに書いてあるわけではないので、明確なストーリーが設定されているのかも定かではないんですが、演じ手は2人いて、お能の「ワキ」のような役目の方が最初に外から土蔵の中にお鈴を鳴らしながら入ってきます。

白い着物を着た彼女が、土蔵の片隅に座り込んで動かなくなると、メインの踊り手である由良部正美さんが登場します。

舞踏は白塗り、剃髪でなければならないと必ず決まっているわけではないようですが、白塗り、剃髪、の定番?スタイル。衣装は赤と黒、もしくは限りなく黒に近いブルー。

こう・・・あえてストーリーを想像して説明しようとすると、白い着物を着た彼女の魂が抜け出て、最初はとまどい、さまよい、苦しむけれど、じょじょにその暗さに慣れ、「道」を見いだして、突き進んでいくと、そこに「泉」があって、どんどん無邪気になって、歓喜し、遊び戯れる、みたいなそんなイメージ。いや、ストーリーがあるのかどうかも定かではないので、あくまで私見です。おそらく、どう感じても、どう見てもいいのだと思います。

やがて、魂の戯れの時間にも終わりがやってきます。魂は再び彼女の中に帰り、彼女は再び動きを取り戻すのです。

「黄泉」は一般には死者の国、とされていますが、死と再生の国なのですね。黄泉から帰還すること、それが「よみがえる(蘇る)」ということなのです。

死者にたむける花と、死と生のサイクルの象徴のイメージが重なって、「黄泉の花」という舞踏が、毎週火曜日、45分という時間の中で、生まれては消えていくのです。

踊り手の由良部さんとは、1度ワークショップに参加させていただいた際に少しお話する機会をいただいたのですが、こう、私たち人間がまさしく自然の一部である、有機体であることを舞踏を通じて探求しておられるようなそんな印象を受けました。いかに美しく見せるか、いかにうまく踊れるか、みたいな、ダンスの表現としての型、みたいなものを探求しているのではなく、踊りを通して、身体そのもの、そこからくりだされる「動き」そのものを探求しておられるような・・・

自分ではうまく表現できないので、フライヤーから由良部さんの文章を一部引用させていただきます。

「舞踏は、カラダで何かを表現するのではなく、このカラダ自身が、途方もなく奇跡な花なのだと感じていくことなのです。観ているあなた自身のカラダとともに」

興味のある方は是非、京都の舞踏館へどうぞ♪




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by sound-resonance | 2017-07-28 20:56 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

ミステリーなセッティング

京都の近代美術館で開催されている「技を極める〜ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展を見に行ってきました。

平日の午後だったんですが、大半が女性、で、結構な人だかり。3つの展示室に分かれていたんですが、最初のお部屋は間近で見るには、待ち時間が発生するほどの混雑ぶり。私、ハイジュエリーブランドにはうといのでよく知らなかったんですが、有名どころのハイジュエリーメゾンのこういう類いの展覧会って人気があるんですね。

この展覧会のユニークな点としては、ヴァンクリーフ&アーペルのジュエリーだけではなく、七宝や陶芸、金細工など、長い伝統の中で培われた日本の工芸作品が同時に展示されていて、その「技」の対比や結びつきを紹介してあるところ。ヴァンクリーフ&アーペルも、蝶や鳥、花や葉っぱなどの植物など、自然のモチーフをジュエリーのデザインに多く取り入れた作品を多く作っているようなので、その辺りも日本の伝統工芸に通じるところがあるようにも感じました。

とはいえ、やっぱり主役は、ヴァンクリーフ&アーペルのジュエリー達。照明をちょっと落としたガラスケースの中で、もう、きらきらしちゃってます。ああいう時は、ダイヤモンドって、綺麗なんだな、と改めて思いますね。特に無色透明のダイヤモンド、メレダイヤっていうのは、人工的な照明の中での方が本領を発揮するような感じがします。やっぱり、夜会、イブニングドレスに似合う宝石なんだなあ、みたいな。あ、ホントに七色のファイアが出るんだな、みたいな。もちろんダイヤモンドの質もいいんでしょうが、きらきらと七色に光輝いていましたよ。

そして、ヴァンクリーフ&アーペルというと、「ミステリーセッティング」。

なんて偉そうに言ってますが、この技法のことも私、よく知りませんでしたが、石を留める爪が表から見えないセッティングの技術のことをこう呼ぶのだそうです。今回初めて見ましたが、確かに爪がない。整然と宝石のタイルが並んでいるように見えます。どうやって留めてあるんだろ?って不思議になるんですが、どうも、石の方に溝を彫って、金属のレールにスライドさせて留めてあるみたいです。今回、待ち時間中、ジュエリーを裏から見る時間がたっぷりあったので、じっくり裏を眺めていたんですが(笑)確かに金属のレールが見えていました。が、この金属のレールの方もとても繊細で、よくこんなので留まってるなあ、という驚異的な技術です。確かに石を留めてある爪って、ほんのちょっととはいえ、宝石を隠してしまいますもんね。完璧主義の職人さんが、パーフェクトに石を見せたい、という執念で編み出した技術なんだろうな、なんて想像してみたり・・。ただ、石の方を削る必要があるので、この方法に適した宝石というのはある程度の硬度が要求されるため限られていて、会場に展示してあったのは、エメラルド、サファイア(ブルー)、ルビーの三種類の宝石のみでした。

というわけで、フランスのハイジュエリーメゾンの技の限りを尽くした作品がたくさんあったんですが、個人的には、宝飾品よりも石そのものが好きなんだな、ということを再認識もしたんでした。

中には、タイガーアイとか、ムーンストーンとかエメラルドの原石とか、スターサファイアとか、変わり種もあったんですが、ダイヤモンド、サファイア(ブルー系)、エメラルド(グリーン)、ルビー(赤)が大基本で、整然とした世界が形成されている、ターコイズとかコーラルとか様々な素材も登場するけれど、整然と形を整えられた石達の集合体にいささかうんざりもしたのです・・・・まあ、団体戦より個人戦が好き、みたいなことかもしれませんが・・・

結局、これ欲しい!と思ったのは、大粒のスクエアカットされたイエローサファイアとブルーサファイアを並べただけのシンプルな指輪でした。取り巻きのダイヤモンド、一切なし。サファイア2石の直球勝負。あのサファイア、綺麗だったなああ。ま、好みの問題ですけどね。

サファイアということでいうと、収穫がもうひとつ。

カシミール産のサファイアを初めて見ました。

これはネックレスでしたが、ダイヤとサファイアをあしらったネックレスに使用されていたサファイアが、カシミール産のものだったんですね。カシミール産のサファイアは、100年以上前に採掘を終えていて、ほとんど市場に出回る事のない幻のサファイアと言われていて、シルキーな優しい光沢が特徴と言われています。「コーンフラワーブルー」というと、カシミール産のサファイアの色のことをさすのだとか。

そんな貴重なカシミール産のサファイアが5石。なんと合計85.86ct!!

全部しずく型で複雑なカッティングがされたものではなかったんですが、真ん中に配置されている一番大きな粒は中にもやがかかったようになっていて、これがシルクインクルージョンか!?と思わず魅入ってしまいました。
両端のちょっと小粒のものはもう少し透明感があって、ブルーの綺麗なこと・・・!ため息ものです。ブルーって、つかみどころがないというか、距離感がある色というか、それだけに、目が離せなくなる色ですね・・・

まあ、「カシミール産」と書いてなかったら、そこまで魅入られたか謎ですが(笑)、一度は見てみたいものだと思っていた宝石に思いがけず出会えて、しばらくぼーっと魅入ってしまいました。

というわけで、結局印象に残ったのは、技よりも石だったりして・・・とはいえ、あの美しい巨大な石達も、綺麗にカットされて、存在感を増しているんですね。

あとひとつ、興味深かったのは、模型師さんのお仕事。デザイン画から立体に起こす時に、最初から貴金属や宝石で作るのではなくて、錫やなんかを使って、一度模型を作るんだそうです。この行程はすべてのメゾンがやっているわけではないけれど、ヴァンクリーフ&アーペルでは大切にしている行程なんだとか。ここで、仕上がりの際の重量の調整もするんだそうで、なるほどなあ、と思いました。そういった緻密な作業が美しいジュエリーを支えているのですね。

終了間近ですが、興味がある方はぜひ京都へどうぞ。

「技を極める~ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」京都国立近代美術館 8月6日(日)まで


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by sound-resonance | 2017-07-26 20:26 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

コトダマ

直接に何かしらの影響があったわけではないんですが、先日の射手座の満月の日に、コミュニケーションをめぐっての感情の暴発、みたいな事象にたまたま出会いまして、ああ、満月ってホントに感情面に影響があるんだな、と思い、前回の記事を書いたところ。ちょうど、太陽は双子座にあったので、まさしくコミュニケーションに関する事象でした。そんなこんなで、改めて言葉の威力について考えていたところ、こんな漫画に出会いました。

山岸凉子さんの「言霊」という漫画。
山岸さんというと、一番有名なのは異色の聖徳太子像を描いた「日出ずる処の天子」だと思うのですが、ご自身がバレエをたしなんでおられることもあって、「アラベスク」や「テレプシコーラ」など、バレエものの作品も執筆されています。今回の「言霊」もバレエにまつわるエピソードとなっています。
主人公の澄(さやか)は、バレエのダンサーを目指す少女ですが、本番に弱いという弱点を持っています。ある時、バレエのコンクールで、失敗した人を見て気が楽になったことから、本番時に誰かの失敗をのぞむようになります。
ライバルの無神経な言葉に傷付きつつ、他人の失敗をのぞむ自分は偽善者だと嫌悪感を抱く澄。そこに王子様(バレエダンサーを目指す男の子)が現れ、彼女は変わり始めます。

澄は、最初本番で失敗するライバルの姿を見て、本番にも失敗する人がいるのだということを知り、気が楽になりリラックスして踊ることができコンクールで入賞することができたことから、他人の失敗を期待するようになりますが、幸運はそうそうめぐってこず、本番に弱いことからなかなか成果を出すことができません。でも、ある時王子様との出会いをきっかけに他人の失敗を望むこと、それはすなわち自分に対して失敗を望むという「呪い」をかけていることになるということに気づくのです。

ライバルである梓は、あからさまに澄に対して「本番に弱い澄」というレッテルを口に出して言い、澄はその度にその「呪文」でいやな思いをしますが、彼女は他人の失敗をのぞむといっても、口に出してそれを言うわけではありません。だからこそ、澄は自分のことを偽善者だといって、嫌悪感にさいなまれるのですが、それこそが、自分自身で「呪文」をかける行為であるということに気づくんですね。逆に他人の成功を望むこと、それこそが、自分にもポジティブな「魔法」をかけることになるのだということに彼女は気づくのです。
最初は、心のこもらない、形式的な声援であったとしても(笑)、それは他人にとっても何よりも自分にとってもよっぽどいい効果をもたらすということに気づき、彼女は、久しぶりに本番で成果を残すことができたのです。

「魔女の呪文」のところでも書きましたが、「呪文」は結局のところ自分にかえってきます。このところ運が悪いなあ、っていう人、自分が他人に対して呪文を発していないか、確認してみるのもいいかもしれませんよ。他人に対してだけではなく、自分に対して、自分自身で呪文をかけていないか、それもチェックしてみるといいかもしれませんね。

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by sound-resonance | 2017-06-13 20:44 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

等価交換とダークなファンタジー その2

さてさて、前回は、「鋼の錬金術師」の中の「等価交換」の概念について、ふれました。
無から有は作れない、何かを作るには、必ずその材料が必要で、どこかに「有」が生まれると、同じだけの「無」がどこかに発生する、そんな感じの概念ですね。

ところが、人間の実際の生活の中では、必ずしも「交換」は「等価」とはいえないことも多いわけで、「鋼の錬金術師」でぐぐってみると、「世の中、等価交換で回ってないのに、と思うと、途中で読むのやめちゃった」みたいな感想もありました。

うーむ、確かに。「人と人の間のモノの交換」という意味では、等価交換って何なん?っていう場合も多いですね。
モノのモノどうしの交換であっても、モノと貨幣の交換であっても、需要と供給のバランスによって、モノの価値は決まるので、「等価」と言えないこともしばしばです。欲しい人が多くて、でも、欲しい人の分よりも用意できるモノが少ない場合には、そのモノの価値は上がって値段は高くなり、高い値段を払える人がそのモノをゲットすることになるので、それを欲しくない人とかが客観的に見たら「等価」にほど遠い値段で取引が成立している場合もある。
さらに、そこまで希少価値は高くなくても、巧妙なイメージ戦略で「価値のある希少なもの」という付加価値が生まれ、モノの値段が高くなる場合もある。

例えば、「石」なんかもその際たるものだな、と思ったりもします。

このところ密かに好きなのか!?っていうくらいダイヤモンドの話ばっかりしてるんで、ついでにダイヤモンドを例にとると、ダイヤモンドって、産出量としては必ずしも石の中では「希少」というわけではありません。ダイヤモンドよりも希少価値の高い石というのは、案外多かったりします。ぶっちゃけ、ダイヤモンドより美しく希少価値の高い宝石というのは、けっこういくらでもあったりするわけで、個人的にはダイヤモンドには、特別な興味をそそられる暇がないわけです(笑)
むしろ、結婚する男女が欲しいと思ってちょっと頑張れば手に入るくらいの供給量と、頑張り具合による値段の幅を持たせることのできる質のバリエーションを持っているわけで、その供給量の多さと、「永遠の輝き」だとか、「固い絆」だとか、「お給料三ヶ月分」だとかっていう絶妙なキャッチフレーズで、「一生ものの高いお買い物」だけど、「結婚する人は絶対買う」みたいな、美味しいポジションを獲得しているわけです。ま、今の若い方は、価値観も変わってきて、ダイヤモンドの世界も、どんどん変わっているようですが。

もちろんダイヤモンドが価値がないといっているわけでは全くなくて、財産として宝石を買うならば、ダイヤモンドをルースで買って金庫で保管するのが一番、なんて言われているようなので、価値はあるものだと思います。でも、人が造り出した需要と供給のバランスの中での価値観っていうのが端的に一番よく表れている石なんじゃないかな、などとも思ってみたりするわけです。
ちなみに、ダイヤモンドは確かに硬度10の一番固い石ではありますが、衝撃に弱いという性質があります。ご結婚されるみなさま、突発的に起きる事故にはお気をつけあそばせ。

・・・なんてことを書いてたら、余計にいただくチャンスが遠のきそうですが、いや、いらないっていってるわけじゃなくて、いただけるものならありがたくいただきますよ(もういいって(笑))。でも、個人的にはダイヤモンドをもらうよりも、もっと変わった希少石をもらう方がうれしいような気がします、困ったものです・・・・・(笑)

ちなみに、ダイヤモンドよりも超希少、めったにお目にかかることのできない希少石、となっても、必ずしも値段が高騰するわけではありません。そこは、需要と供給のバランス、欲しいと思う人がたくさんいなければ、値段はつりあがらないんですね。で、知名度が低いと、いくら希少でも、誰も知らず、誰も所有していることをうらやましがってはくれないのです(笑)

そして、石自身は、人間に対価を求めないのです。石自身は、地中から掘られてきたり、拾われてきたりするだけ。カッティングされた石を美しいと感じるのは人間であって、石自体がどう思ってるかなんて実際のところはわかんないのです。
太陽もしかり。太陽は、光り輝くだけで、人間がその光をどう利用しようと、無頓着。
たまに、人間がその光の恩恵を様々に利用していることを知って、太陽が「代償」を求めてきたらどうなるだろう、なんて想像してみたりするんですが、太陽そのものは、気前よく、惜しみなく、時には気まぐれに、光を供給し続けてくれているわけです。

私たちの生活は、太陽次第。
太陽さん、ありがとう、というところで、各地で「太陽信仰」が生まれてきたのだと思いますが、「鋼の錬金術師」の中でも、太陽と月が重なる「皆既日食」が「運命の日」として象徴的に使用されていました。

そして、いろいろあって、無事に身体を取り戻すことのできたアルは、人間の営む生活が「等価交換」で成り立っている訳ではないことを悟り、「+1」の交換の世界を目指すのです。
(ホントは自然界も=等価交換とは言えないですが、ここではおいておきます)

どうも、「鋼の錬金術師」、実写化に向けて準備が進んでいるようですね。個人的には、主人公よりも、「ラスト(七つの大罪のうちの色欲)」役の松雪泰子さんが気になりますが、さて、どうなりますことやら。




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by sound-resonance | 2017-06-03 22:30 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

等価交換とダークなファンタジー

先日、といってもちょっと前の話ですが、家の中で足の小指をしこたまぶつけてしまい、爪がぱっくり割れてしまう、という惨事!?に見舞われたことがありました。痛いな、と思いながらも普通に歩き回っていてふと足下を見たら、床が血まみれ、歩いた後に血が点々。痛みよりも、どちらかというと、その景色にショックを受けて、急激に弱気に。ウエサク祭りの余韻でも味わいに鞍馬山にでも行こうかな、なんて思っていたんですが、やめにして、急遽家にこもることに。おまけに風邪まで引いてしまい、踏んだりけったりの時に、読んだのが「鋼の錬金術師」。古本を大人買いしていたものの、読む時間が取れずにそのままになっていたものを、ま、理由はともかく、ようやっと読むことができました・・・(笑)

アニメの方は、途中から別の展開になっていったようですが、今回は漫画の方のお話。27巻読了。
「ダークファンタジー」だけあって、内容はなかなかに殺伐としてるんですが、要所要所が軽いというのか、随所に軽いノリがちりばめてあって、重くなりすぎず一気に読めちゃう作品ですね。

読んだことのある方には蛇足ですが、19世紀の産業革命時代をモチーフにした架空の都市国家アメストリスが舞台となっています。アメストリスは、全員が使えるというわけではないものの、「錬金術」が日常の中に利用されている世界です。錬金術とは歴史的には、文字通り「(金以外の卑近な物質から)金を造り出そう」という試み、学問のことを指しますが、漫画の中では、必ずしも金のみを造り出す試みだけを指しているわけではなく、どちらかというと魔法に近いニュアンスで、錬金術という言葉が使われています。

ただ、面白いのは、錬金術に「等価交換」の原理が取り入れられていること。錬金術は、何もないところ(無)から、何かを造り出せる(有)技術としてではなく、何かを造り出すためには必ずどこかから、その材料が調達されなければならないという原則がしかれています。

主人公のアルとエドの兄弟は、亡くした最愛の母を錬金術で生き返らせようとします。その際にも、人間が何で構成されているのかが語られ、その原料が用意されています。でも、禁断の母を生き返らせるという試み(人体錬成)は失敗に終わり、アルはその身体全部を、エドは左足を失ってしまうことになるのです。エドは、自分の右腕と引き換えにかろうじてアルの魂を鋼鉄の鎧に定着することに成功しますが、失われたアルの身体とエドの右腕、左足を取り戻すべく、エドは国家錬金術師となり、賢者の石を求めて旅するのです。

ここでいうところの「等価交換」って、どちらかというと、科学の世界の「質量保存の法則」に近いようなイメージですね。どこかに何かが生み出されたように見えながら、そこに生み出された分だけ、何かがどこかで失われている、そんな概念。

原作をちゃんと読んでないから、作者のアレンジだったのかもしれないですが、昔「アラジンと魔法のランプ」をモチーフにした漫画を読んだ時、こんなものを出して!といえば出してくれる魔人が、実は、出せと言われたものを「どこか」から持ってくるだけだったということにショックを受けたことがありました。なんだ、それって、「魔法」じゃないじゃん、「泥棒」じゃん、と・・・自分が泥棒に直接的に加担していない、ってだけで、でも間接的には、どうよ!?みたいな・・・・あぁ、何もないところからは、魔人であっても、何も生み出せないんだな、という人生の厳しさを子ども心に「アラジンと魔法のランプ」で学んだんでありました・・・(笑)

「鋼の錬金術師」の中では、アラジンと魔法のランプの魔人のように「そのまま持ってくる」ことはしません。その場にある何かの組成を知り、再構築することで、必要な何かを生み出すという意味の「等価交換」なんですね。

というあたりで、つづく・・・


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by sound-resonance | 2017-06-01 21:58 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

万華鏡世界大会

京都で開催されている「ブリュースターカレイドスコープソサエティインターナショナルコンベンション2017京都」に行ってきました。元々は、世界中の万華鏡作家さんが、集い、交流し、競い合うみたいなイベントだと思うんですが、一般公開もされていて、万華鏡の魅力を発信するイベントになっております。今年で27回目を迎えるけっこう歴史のあるイベントのようですが、日本で開催されるのは今回が初めてなのだとか。

先日の「なんばの神社で石まつり」での万華鏡づくりワークショップの際に知ったイベントで、気が向いたらちょっと覗いてみようみたいなお気楽な気持ちで行ってみたところ、入り口にはなんと行列が・・・!!わたくし、完全に万華鏡をあなどっていました・・・大変失礼いたしました・・・万華鏡のファンの方ってたくさんいらっしゃるんですね。

入場料500円を払って待つこと、15分程度、やっと中に入ることができました。中ではワークショップ、展示即売、投射万華鏡の映像の展示などなどがありました。ちなみにワークショプの方は予約制で、ほとんどの作家さんのワークショップがすでにソールドアウトになっていました。正直大会スタッフのみなさんも、ここまで一般のお客さんが入るとは予想していなかったらしく、ちょっと混乱もありつつ、にぎわいのある会場となっておりました。

投射式の万華鏡のお部屋の様子。
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旅の想い出を万華鏡にして残そうという提案!?も。海に行った思い出には貝殻入りの万華鏡。他にも木綿とか旅した土地を彷彿とさせるアイテムがオブジェクトとして入ってました。

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埼玉に日本万華鏡博物館というのがあるそうで、そこの館長さんの講演会もありました。万華鏡は約200年前にスコットランドで生まれたものなのだそうです。ブリュースターさんという方が元々は灯台の光をより遠くへ届かせるための研究をしていたところから派生して生まれたものなのだとか。当時真っ暗闇の中船で海をわたることは極めて怖いこと、安全、安心に航海するために灯台の光が遠くまで届くことってものすごく大切なことだったんですね。灯台の発明があって、モノとモノの交流、貿易が発展していきました。

200年前のカレイドスコープも覗かせてもらいました。シンプルなんだけど、綺麗。館長さんもおっしゃっていましたが、万華鏡って、発明された時からすでに完璧な存在だったんですね。

お話の中で私が面白いな、と思ったのは、漢字の「鏡」という文字のお話。「万華鏡」の「鏡」なわけですが、鏡という漢字、「金」と「音」、そして「人」という文字で成り立っています。すなわち「かがみ」とは、「人」が、天からの「音」を受け止める「鋳型」であると。
うーん、鏡って、光を反射するものというイメージがありますが、改めて漢字を見ると確かに音という文字が入っているんですよね・・・「音」はすなわち「光」であるということが、鏡という文字の中にも潜んでいました。透音、密かにエキサイト。このエピソード、時間が余っちゃったから聴けた余談だったみたいですが、私にとっては随分ラッキーな余談でございました。

で、展示即売では、前から気になっていた作家さんが出展されていたので・・・買っちゃいました・・・天然石の入ったオイル式の万華鏡。

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見れる景色としては、先日ワークショップで作ったマイ万華鏡も負けてないと思うんですが(笑)、外見のアートっぷりが違います(笑)チタンのグラデーションがとても綺麗。万華鏡は、陶器を使ったり、ステンドグラスを使ったり、いろんな外見のものがありますが、私はシンプルな筒型で美しいものが好きです。
購入すると決めてから知ったんですが、「Twilight」というシリーズの中の「LOVE」という作品なのだとか。ピンクトルマリンだもんなあ〜、なるほど。
というわけで、みなさまにも「LOVE」の景色をおすそわけ。

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ちょっと暗い映像になっちゃいましたが、光を受けてとっても綺麗な景色ですよ。

日曜日も一般公開されていますので、興味のある方は京都にどうぞ♪


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by sound-resonance | 2017-05-28 00:01 | 観る・読む・聴く | Comments(0)