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笑う赤ちゃん



 うちの子です。
 ・・・嘘です(笑)

 「赤ちゃん」ってどうして「赤ちゃん」って言うんだろう?素朴な疑問からネットを検索していて、こんな動画を見つけました。
アメリカに住むイーザン君、9ヶ月(2007年当時)。バカ受けです。笑い転げてます。発見してから何回も見てるんですが、その度についついつられて大笑いしてしまいます。本当にかわゆいですね〜。
 Wikipediaによると、「赤ちゃん」の語源は、分娩の際に陣痛の圧力で胎盤内の血液が新生児の体内へ絞り出されるため、新生児が多血症気味となり、皮膚色が赤く見えることから、とのことですが(他の象徴的な意味もあるような気がしますが、それはまた改めて・・)、狭い産道を通って大変な思いをして赤ちゃんってこの世に生まれてくるんですね〜。お母さんも大変ですが、赤ちゃんも大変です。でも、イーザン君は、好奇心の塊。この世に生を受けて、パパに出会って、こんなに面白いことが待ってて本当に良かったね、って言ってあげたくなります。
 笑うという行為は身体の中に光を取り込む作業です。太陽神経叢(腹の辺り、色でいうと黄色の領域)がきらきら輝いて、あなた自身にエネルギーが満ちるように、いっぱい笑いましょうね。イーザン君がそのお手伝いをしてくれますよ。
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by sound-resonance | 2010-03-27 23:30 | 音・色あれこれ | Comments(0)

コマラが来日中

 今、サウンドレゾナンスの創始者で、私のお師匠である、コマラが日本に来ています。4月第2週あたりまでの滞在期間の間にセッションや、授業がもりだくさんです。
 お師匠といっても、彼女は全く権威的な人ではなくて、サウンドレゾナンスも、「私の言う通りにやりなさい」というのではなくて、必要最低限の共通テクニックは押さえつつ、後は自分の直観を信じて自由にやりなさい、とおっしゃって、「先生」というより、人生の先輩っていう感じ。なので、敬愛をこめて、「コマラさん」とか「コマラ」とか呼んでいます。時には、「コマラちゃん」って呼んでることも(笑)年上の方なんですけどね。
 今日は、コマラの個人セッションを受けに行ってきました。
 普段は、私がセッションギバーとして、クライアントさんのボイスプリントを録らせていただいていますが、私自身も、コマラや、同期の皆さんにセッションをやってもらったりして、自分自身を見つめる機会をいただいています。
 サウンドレゾナンスのセッションはクライアントさんとの共同作業です。私はセッションのナビゲーターであって、私自身がクライアントさんを変えるわけではありません。気づきを得て、結果的に変わっていかれるのは、クライアントさん自身です。クライアントさんが、「ああっ!」という気づきを得られる瞬間に立ち会えるのは何にもかえがたい喜びです。
 私自身も、サウンドレゾナンスに出会ってから、どんどん変化(進化?だといいけど(笑))しています。日々出会う人達にしても、毎日会う人も、久しぶりに会う人も、一度きりしか会わない人も、刻々と変化している。
 だからこその「一期一会」なんだなあ、と改めて、気づく今日このごろなのでした。
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by sound-resonance | 2010-03-25 18:02 | サウンドレゾナンス | Comments(2)

七色マカロン♪

 
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 先週ひょんなきっかけからご縁をいただいて、長野までセッションに行ってきました。なかなか体育会系のノリで、体力的には過酷でしたが(笑)みなさんとても熱心にサウンドレゾナンスについて興味を持って話を聞いてくださって、とても有意義な(有意義すぎる?(笑))時間を過ごすことができました。スタッフのみなさま、セッションに来てくださった皆様、ありがとうございました。
 最後にみんなでチャクラレゾナンス瞑想をやったのですが、善光寺の仏様が「何やってるのかなあ?」とニコニコしながら様子を見にきてらっしゃいました。いや、ホント。私は普段主に聴覚でモノをとらえるタイプなので、ビジョンが見えることは滅多にないし、円座になって座っている前の人の残像がまぶたに焼き付いていたのであろう、という科学的な説明もできることは重々承知の上で、あえて断言しちゃいます。それに・・見に来てくださってた!って信じる方がわくわくしますしね!

 さて、長野といえば、前述の善光寺、そして、善光寺門前といえば、八幡屋礒五郎の七味唐辛子ですね。と偉そうに言ってる私、実は長野に行くまで、八幡屋礒五郎さんを知らなかったのですが、長野県民にとって、唐辛子といえば、ここ!なのだそうです。ちなみに日本三大七味唐辛子のひとつが、ここ、八幡屋礒五郎だそうですよ。
 帰り際にセッションに来てくださった方にお土産にと、「七味マカロン」をいただきました。七味唐辛子の「七味」がマカロンになったという不思議系スイーツ。でも、開店1時間程度ですぐに売り切れてしまうという超人気商品だそうで、わざわざ朝から行列に並んで買ってきてくださったそうです。
 そんな貴重なマカロンのお味は・・・美味しかった〜!!
 目で見て楽し、食べて美味しい、幸せ気分でひとつひとつ大切にいただきました。色のセッションに行って、七色のマカロン、なんて粋なプレゼント!ホントに感謝です、ありがとうございました。
 こんな風に、美味しいものに滅法弱い私(笑)美味しいものの食べられる所であれば、どこへでもでかけて参りますので、気軽に声をかけてくださいね!
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by sound-resonance | 2010-03-24 20:41 | 音・色あれこれ | Comments(0)

生業(なりわい)の美しさ

 滋賀県出身の染織家、志村ふくみさんを知ったのは、確か中学生の頃、国語の教科書に載っていた桜について書かれた随筆からでした。

 「まだ折々粉雪の舞う小倉山の麓で、桜を切っている老人に出会い、枝をいただいて帰りました。早速煮出して染めてみますと、ほんのりとした樺桜のような桜色に染まりました。
 その後、桜、桜と思いつめていましたが、桜はなかなか切る人がなく、たまたま九月の台風の頃でしたが、滋賀県の方で大木を切るからときき、喜び勇んででかけました。
 しかし、その時の桜は三月の桜と全然ちがって匂い立つことはありませんでした。
 その時はじめて知ったのです。桜の花を咲かすために、樹全体に宿っている命のことを。一年中桜はその時期の来るのを待ちながら、じっと色を貯めていたのです。
 知らずして、私はその命をいただいていたのです」
                (志村ふくみ「語りかける色」より)

 このエピソードは度々いろいろな所で書かれているそうなので、私が以前読んだものと全く同じかどうかはもはやわかりませんが(実際ちょっとだけ違うような気も)子ども心に、なんて美しい文章だろうと、ひどく引きつけられたのをよく覚えています。
 それから長い間、志村さんが植物の命をもらって絹を染め、織り上げた着物を見てみたいものだと思い続けていましたが、実際にお目にかかったのは、2004年、随分大人になってからのことでした。
 彼女の作品には「生業の美しさ」があります。「生業」とは、その行為自体が直接稼ぎとなるもののことをいうそうですが、小さいお子さん二人を抱えて離婚され、織の道に入り、これで食っていかねばらないという切羽つまった状況の中で、自然と向き合い、数多くの失敗を重ねながら、自然と自らの体験から学び、一つ一つの植物から命そのものの色をいただくことに、葛藤し、感謝し、何万回と縦糸に横糸を通しトン、トンと打つという気の遠くなるような単純作業を繰り返し、一反の反物を織り上げる、そうやって出来上がった着物は、彼女が費やした時間や命そのものが織り含められているはずなのに、不思議に重苦しくなく、どこか軽やかで、涼しげで静けさをたたえていて、人が生業を通じて昇華し、その人自身が限りなく美に近づいていく、その様がかいまみえるような気がします。
 志村さんはあくまでも染織がご専門ですが、文章にもその作品(=人)の美しさがよく表れていて、だからこそ、子どもだった私に鮮烈な印象を残したのでしょうね。
 生業によって表現されたものが何であれ、それは、生活そのものであり、その人そのもの。とても怖い、ですが、それを引き受けていける大人に少しでも近づいていきたいものです。

 桜が一年をかけてためた色を放つ季節がやってきます。大切に鑑賞しましょうね。
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by sound-resonance | 2010-03-23 18:18 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

小さな桜の樹

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 街中を歩いていたら、いきなり桜の淡いピンク色が目に飛び込んできました。でも、大きな桜の樹はみあたらなくて・・・都会のマンション前のコンクリートの囲いから桜の枝がひょろっと出ていて、その枝が満開の花盛り。一瞬造花か?生け花か?と思いましたが、ちゃんとした、生きている小さな桜の樹でした。
 小さいのに、こんなに花盛り。かわいい。
 時は確実に春に向かっているんですね〜056.gif
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by sound-resonance | 2010-03-16 18:33 | 音・色あれこれ | Comments(2)

癒しスタジアムin神戸に出展します!

 暑かったり寒かったり、晴れたり、雨だったり、なんだか落ち着かない日々が続きますね。みなさん、体調など崩されていませんか?春に向けて、強烈なデトックスの起きる時期でもあるそうですが、どうぞご自愛くださいね。私も、やたらと眠くて、だるいんですが、マイペースで時流に乗っていきたいな、と思っています。

 さて。春のイベントのお知らせです。
 4月11日(日)に神戸で開催される癒し系イベント「癒しスタジアムin神戸」に出展いたします!神戸では初めての開催になるそうですよ。アロマテラピー、オーラソーマ、ボディワーク、レイキ、占い、パワーストーン販売、等々おなじみの癒し系ブースがもりだくさん!その中に混じって、おそらく、唯一の「サウンドレゾナンス」ブースとなります。お気軽に、サウンドレゾナンスを体験していただける貴重な機会となることかと思います。お友達と一緒に出展いたします。「Jasmine(ジャスミン)」というブース名になりますので、探してみてくださいね!会場でみなさんにお会いできることを楽しみにしていま〜す!

058.gif《癒しスタジアムIN神戸vol.1》058.gif
   日時:2010年4月11日(日)10:30〜18:00
   場所:神戸サンボーホール
       (各線・三宮駅下車徒歩10分 ポートライナー貿易セン         タービル駅下車すぐ)
    入場料:大人500円
             ※再入場可 子ども無料

 ※「癒しスタジアム」についての詳細は、HPを検索してみてくださいね!
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by sound-resonance | 2010-03-15 19:33 | お知らせ | Comments(0)

受け入れる赤「アルゼンチンババア」

 久しぶりに、映画「アルゼンチンババア」(2007)を見ました。
 この映画を見るのは2回目です。
 最初に見た時は、母が亡くなった直後で、のっけから主人公の女の子の母親が病院で亡くなるシーンのリアルさのインパクトが強すぎて、とりあえず最後まで見たものの内容をよく覚えていなかったのですが、今回改めて見てみて、とても優しい映画だったんだということに気づきました。加えて、色という視点からのアプローチができるということにも気づいちゃいました(笑)
 高校生の主人公の女の子(光子)の父は妻が亡くなった事実を受け入れることができず、妻の葬式さえほったらかしで光子の前から姿を消します。このお父さん、今時頑なに手彫りを守る職人気質の墓石屋。ろくに風呂にも入らないのになぜか女性にもてもての男です。
 私はこの父親にブルーの質を強く感じます。芸術家肌でいかにも生活能力のなさそうな風貌が、私が守ってあげなくちゃ、という女性の母性本能をくすぐっちゃうんでしょうね。妻という保護を失った現実を彼は受け入れることができません。そして、彼は逃げます。この「逃げる」「回避する」というのも、ブルーのネガティブな質のような気がします。
 彼が逃げ込んだのは、町の子ども達がアルゼンチンババアと呼んで敬遠している女の住む、町はずれの怪しげな屋敷でした。
 この女、名前を「ユリ」と言います。たくさんの猫と共に住み、ミツバチからハチミツを採り、ハーブとたわむれ、時には屋上でアルゼンチンタンゴを踊る。こうやって、本人はいたって優雅に暮らしていますが、その実、家の中はホコリだらけで、なにやら異臭さえ放っているという有様です。そんな彼女のことを町の人達は変人扱いして、誰も近寄ろうとしません。
 彼女は「受け入れるレッド(赤)の女」です。
 猫を受け入れ、ミツバチを受け入れ、ハーブを受け入れ、ホコリを受け入れ、臭いも受け入れる。何ら自分の都合で相手を変えることをしません。そのまま丸ごと受け入れる。彼女の優雅さは「受け入れる」ことからやってきます。そして、この「受け入れる」質は、レッドの質そのものです。
 ユリは太母であり、コズミックマザーです。これは、彼女の元に逃げ込んだ光子の父が、ユリの屋敷の屋上で作っている曼荼羅の中心はユリだ!と言っていることからもわかるような気がします。
 ユリ自身も自らが引き受けなければならない現実を時間をかけて受け入れてきました。だからこそ、現実を受け入れることができずに逃げてきた男を丸ごとそのまま受け入れ、彼に「時間」をあげるのです。
 彼女が、男(光子の父)にアルゼンチンタンゴを教えるのも象徴的です。情熱的なタンゴもまた、レッドの領域のダンスです。タンゴは男と女がいなくては、成立しません。逃げる男(ブルー)と受け入れる女(レッド)が出会い、タンゴを踊り、そこに癒し(バイオレット=レッド+ブルー)が生まれます。男が癒されると同時に女もまた癒されたのでしょう。今度は、父親としての責任を果たしなさいと言って、ユリは男を手放すのです。あれだけレッドの質を持ちながら、取り込むことなく、手放したユリはあっぱれ!つくづくかっこいい女ですね〜(ほれぼれ)ブルーはポジティブに反転し、父の保護という責任を果たすために、男は光子の元に戻るのです。
 光子という名前もちょっと面白い。彼女を光源氏と同じくイエローと設定すると、これからは父親と共に新しい弟も含めた3人で調和のとれた安定した、名前の通り光に満ちた生活を送るのでしょうね。
 よしもとばななさんの原作本も、奈良美智さんの装丁がとても素敵です。機会があれば、手にとってみてくださいね。
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by sound-resonance | 2010-03-14 16:09 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

嫉妬は身を滅ぼす?「ブーリン家の姉妹」

 サウンドレゾナンスを一緒にやっているお友達が、「ブーリン家の姉妹」のDVDを貸してくれました。2008年公開のこの映画、ナタリーポートマンとスカーレットヨハンソンという若手の二大女優が競演しているとあって、ちょっと興味がありつつこれまで見る機会がなかったので、これ幸いと思い見たのですが、いやあ、重い・・史実としてのヘンリー8世とアンブーリンの顛末は知ってはいたのですが、あの時代のイギリスって独特の暗さがありますね。
 お金とか権力とか名誉とかそんなもののために結婚しなくちゃいけない身分じゃなくてよかった〜っ、やっぱり好きな人と普通に一緒にいられる庶民が一番ね!と月並みすぎる感想を抱きつつ、この映画はスルーしようとしていたのですが、改めてDVDのジャケットを見て、何でも「色眼鏡」で見る悪い癖が・・・発動してしまいました(笑)
 DVDジャケットには、アンブーリン(姉)、メアリーブーリン(妹)、ヘンリー8世の3人が写っているのですが、アンとメアリーの着ている衣装が、それぞれ緑(アン)と赤(メアリー)なのが、とても面白いです。
 もちろんビジュアル的な効果をねらっての配色なのだとは思いますが、アンの着用している衣装の鮮やかな緑が、彼女の身を滅ぼした「嫉妬」を象徴しているような気がします。イギリスを代表する劇作家であるシェイクスピアも「オセロ」の中で嫉妬の感情を「green-eyed monster(緑の眼をした怪物)」「ヴェニスの商人」の中で「green-eyed jealousy(嫉妬で緑色になった目)」と書いているそうなので、案外その辺りを意図した配色なのかもしれませんね。
 「嫉妬」とは、自分と異なるもの、自分から見てよく見えるもの、自分が欲しい(欲しかった)ものなどを持っている相手を快く思わない感情(Wikipediaより)を表し、緑のネガティブな側面です。
 詳しいストーリーについては、映画を直接見ていただければ、と思うのですが、アンブーリンがあれほど「王妃の座」にこだわったのは、自分がターゲットとしていた男(国王ヘンリー8世)を自分より先に奪った妹(メアリー)に勝ち、自分のプライドを満たすためためには、男を奪い返すだけでは足りなくて、愛人という立場に甘んじていた妹よりも上の立場、すなわち王妃になるしかなかったから、ではないでしょうか。
 自分と他人を比較するところから初めて嫉妬は生まれます。
 アンは、ヘンリー8世にローマカトリックから離脱させ、イギリス国教会を作らせ、前王妃と離婚させ、念願の王妃になります。彼女は、自らへの愛を証明させるために、その後のイギリスの運命を変えるような大改革を国王にさせたのです。
 でも、映画の中の彼女はちっとも幸せそうではありませんでした。
 アンがメアリーに嫉妬した瞬間から、彼女は自分が幸せだということを他人に証明するための外側のゲームに自分の内側の幸せを明け渡してしまったのです。そこには「妹に勝ったアン」はいても、アン自身はいません。ヘンリー8世にとっても、アンを自分のものにした時点でゲームセット。関心がすぐに他の女性に移ってしまったのも無理はないような気がします。そして、因果はめぐり、彼女の栄華ははかなく短く散ったのでした。
 「愛は分けられない」ジャケットのコピーがなんだか切ないです。愛が分けれるものなのか、そうでないものなのかは別として、赤い衣装を着た妹のメアリーは、運命を受け入れ、結果的には姉とは対照的に平穏な人生を送りました。「受け入れる赤」については、また改めてどこかで書きたいと思います。蛇足ですが、偶然にもスカーレット(緋色)ヨハンソンが妹のメアリー役をやっているというのもちょっと面白いですね。
 それにしても、ヘンリー8世ってどんな男だったんでしょうね?女のためにイギリス史を変え、アンブーリン以降は王妃をとっかえひっかえした粗野でとんでもない暴君かと思いきや、意外にも教養あふれるインテリだったという一面もあるそうで、ますます謎が深まるのでした。

                  「ブーリン家の姉妹」2008
 
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by sound-resonance | 2010-03-10 23:08 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

おまけ 色と恋について

 色で読む源氏物語シリーズを書き始めた頃、読んだ1冊の本があります。「音に色が見える世界〜『共感覚』とは何か〜」という本。著者の岩崎純一さんは、ご本人が共感覚の持ち主で、当事者の視点から共感覚について解説されています。
 また、日本文化の原風景というのが、元々共感覚的であったという説を提示されているのですが、この本によると、縄文、弥生時代の日本語には、シロ、アヲ、アカ、クロの4語以外の色彩語が見あたらないそうです。色相の違い(赤や青の違い)を「色の違い」と認識せず、彩度と明度の違い(鮮やかか淡いか、明るいか暗いか)を「色の違い」と認識していたと見られる、とのこと。奈良時代を経て、平安時代から江戸時代末期までの色彩語としては、「黄」「緑」が登場しましたが、元来、「赤」「青」「白」「黒」の基本四語以外の色の名前は、ほぼすべて動植物、花鳥風月に由来する、と書かれています。
 では、日本人が色の違いに無頓着だったというと、それは全く逆で、例えば山吹の花の色を、「黄色」という単純な色相名に還元するなんてとんでもない感覚であって、山吹の花の色は、あくまでも、山吹の花の色、だから山吹色と呼ぼうという優れた色彩感覚があったからこそのことだったのだと思います。
 同じ「紫色」でも、藤色、紫苑、菖蒲色など、いわば花の数だけ色がある、その感覚は、自然をありのままに見、受け入れようという感覚なのだと思います。そして、大切なのは、日本人が「色」を「うつろうもの」として見ていたこということ。もし同じ花を観察していたとすると、花の色は、刻一刻と移り変わっていくことでしょう。つぼみから、盛りを迎え、やがて朽ち果てていく、その「うつろひ」や「ゆらぎ」こそを「色」と感じていた日本人の感性ってとても素敵ですね。
 サウンドレゾナンスでも、声を絶対不変的なものととらえるのではなく、あくまでも、「瞬間瞬間にうつろうもの」ととらえています。そういう所は、ちょっと似ているかも。
 
 それともう一つ興味深かったのは、「色恋」についての記述。
 「色」の字は、ひざまずく人の上に人があることを示す会意文字で、男女の情愛そのものを指しており、その字を「いろ」に当てた、日本語の「いろ」は異性のことを離れてはありえないのだ、とのこと。だとすると、白黒で読む(まあ、私の見るのは、現代語訳であり、マンガであるわけですが)「ザ・恋バナ」である源氏物語やその登場人物が総天然色に彩られて「感じられる」のも、さもありなん、というところですね。
 そして、「色」は「うつろいゆく」もの。うーん、達観。

 光源氏を「イエロー」だ!などと、スペクトル上に分断してしまったことにちょっと反省しつつ、今回はあえて「西洋的」な解釈の上に乗っけてみました。現代人的解釈のひとつとして、お許しくださいませ。
日本人男性として、言葉にしがたい世界をあえて言葉にして、非共感覚者に伝えようとした著者に敬服、感謝。
「匂(にほひ)」についての考察もとても面白かったです。興味を持たれた方は一読あれ。

 音に色が見える世界 「共感覚」とは何か 岩崎純一著 PHP親書(2009) 
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by sound-resonance | 2010-03-09 18:19 | 色で読む源氏物語 | Comments(2)

出家する=恋を降りること? 空蝉

 「源氏物語」に登場する女性には、出家する女性が非常に多いですが、今日は「出家」と「色」について少し考えてみたいと思います。
 空蝉とは、一夜限りの契りの後は光の君と情をかわすことを拒み続けたことで、かえって光君を引きつけた女性でしたが、夫亡き後尼となった彼女を光君は六条院に迎え入れます。
 出家し、尼となった彼女に、お正月用にと光君が送った衣装(玉蔓の帖)は青鈍色(あおにびいろ=ブルーグレー)の表着に梔子色(くちなしいろ=黄色)の衣というものでした。出家した女性に、梔子色?いいのか?とちょっと不思議だったのですが、光君が送ったのは、梔子色の聴し色(ゆるしいろ)、つまり薄い黄色で、これは出家した者にも着用が許されていた色だったようです。出家しても、内側に重ねる衣にはある程度の色が許されていたようですね。
 とはいえ、表に着用する衣の色は墨色(グレー)や青鈍色(ブルーグレー)という暗い色調に限られ、出家した尼は華やかな色から遠ざかります。
 「色から遠ざかる」・・・なんだか意味深な言葉です。女性が尼になるということは、現代人である私達が想像するよりもはるかに直接的に「私、色恋から遠ざかります(引退します)!」という宣言だったのかもしれません。
 瀬戸内晴美さんが、出家して「瀬戸内寂聴」さんになられた時、その理由の根底に「恋愛」があったというのを聞いた当初は、今より若かったこともあって言い知れない違和感を覚えたものですが、色恋からの引退→出家というのは、平安時代から続く案外「正当な」人生のコースのひとつなのかもしれませんね。
 その瀬戸内寂聴さん、ご自身が出家されて初めて、源氏物語が「出家の物語」であることに気づき、出家した自分だからできる現代語訳があると思ったからこそ、「源氏物語」の現代語訳に取り組まれたそうです。光源氏に愛された女性達が、愛されることの苦しさの余りに出家して、心が解放され「心の丈」が高くなっていく、源氏物語に描かれている女性達の出家とはそのようなものである、とのこと。「瀬戸内源氏」がベストセラーになったのは、そんな源氏物語の中の女性達に共感する現代女性が多かったから、かもしれませんね。
 それにしても、色恋からの引退をしようと思うと出家するしかないなんて・・・それだけ生活と色恋が密着していたということを「つややかな時代」と読むことも可能なのかもしれませんが、やはり「恋」の形はうつろうものととらえるのが正解のようです。「恋」がうつろっても、愛に形を変えて残る可能性を秘めている、そこに気づいてその変化をいかに受け入れてお互いが成長していくのか、そこに鍵があるような気がします。変化を受け入れながら「今ここにあること」を生きる女性でありたいな、と思う、今日この頃なのでした。
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by sound-resonance | 2010-03-07 12:44 | 色で読む源氏物語 | Comments(0)