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ハロウィンと13夜

関西地方では2週続きで週末に台風が到来しており、雨続きで、夏ものから冬ものへの大物の衣替えのチャンスがなく、なんとなく手持ちぶたさのようなそうでもないような中途半端な気の滅入る日々を過ごしていたんですが、台風も過ぎ去りようやく秋空が広がりました。

さて、今日はハロウィンですね!ハロウィンもすっかり日本にも定着しましたが、どうも日本では「仮装の日」として定着しちゃったようで、それはそれで不思議というか面白いな、と思ったりもします。お化けに扮装するのはお化けにいたずらされないように仲間だと間違えてもらうためなんだけどなあ〜個人的には今日はかぼちゃのポタージュを食べるくらいで、子どもにお菓子をあげるでもなく、仮装するでもなく、ハロウィンとはすっかり無縁の静かな生活を送っております。仮装で薄着をされるみなさま、急に寒くなりましたので、くれぐれも風邪など引かないように後はあったかくしてお過ごしくださいね。

そして、ハロウィンが終われば次の日は和な感じのイベント、13夜がやってきます。先月10月4日が15夜、中秋の名月でしたが、13夜は15夜の次に月が美しい日とされているようです。15夜と13夜の両日お月様を愛でると吉、ラッキーチャンスに恵まれるみたいですよ。今日は綺麗なお月様が見えていますが、このまま明日も綺麗な月が見れるといいですね。

そして、11月の満月は4日の土曜日です。
ハロウィンから13夜、そして満月・・・なんだか夜が楽しみになるような1週間ですね。音でいうと、「上手な人が演奏すると天使、そうでもない人だとお化けの音」と言われてましたが、先日のテルミン、マトリョミンの宇宙人みたいな電子音がいかにも似合いそうです・・・(笑)なんとなくわくわくして眠れそうにないですが、夜更かしはほどほどに。私は3連休に遠出をしようかと思案中です。どきどき。


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by sound-resonance | 2017-10-31 21:47 | 音・色あれこれ | Comments(0)

テルミンとマトリョミン

テルミンとマトリョミンのコンサートに行ってきました。テルミンとは、手を触れないで演奏する不思議な電子楽器。1919年にロシアでテルミンさんが開発した世界初の電子楽器です。縦と横に伸びているアンテナから電波が出ていて、縦のアンテナに手をかざすことで音程を、横のアンテナに手をかざすことで音量を調節します。目に見えない電波を空中で操作することでメロディーを奏でるとても微妙で難しい楽器。でも、昔エレクトーンを習っていた私にとっては、電子楽器のご先祖様ということで、ちょっと憧れの楽器でもあります。ただ、極めて微妙な楽器故に音も揺れておりまして、よっぽど上手な人の演奏じゃないと、ちょっと酔ってしまうのが難(笑)そして、ロシアといえば、マトリョーシカ、ということで、テルミンとマトリョーシカを組み合わせてしまったのが、マトリョミンという楽器です。こちらは、竹内正美さんという日本のテルミン奏者の方の発明!?で日本発の楽器。テルミンと、マトリョーシカの本場であるロシアでいくら探しても、マトリョミンは買えないそうです(笑)マトリョミンについての映像。可愛い・・・・マトリョミンは、テルミンの縦のアンテナにあたるものがマトリョーシカの中に納められていて、マトリョーシカと自分の手の位置を変えることで音階を作り音楽を奏でます。テルミンの横のアンテナにあたるものは省略されているので、音量は変えられないそうです。音階の方に集中できるので、初心者向き、かも!?なんですが、それでも、見ていると、かなり微妙な手の位置で音が変わるので、やっぱり鍛錬は必要っぽい感じです。音量が変えられないので、音楽の始まりと終わりは、ミミョーンという音が入ってしまうのも、難と言えば難、でも、そこはマトリョーシカの可愛さで補える、かな!?日本のテルミン奏者の第一人者である竹内正美さんは、ロシアにテルミンのために留学したそうですが、今は日本は世界的にみてもテルミンの先進国なんだそうで、現在272名が合同でテルミンのアンサンブルをしたギネス記録を持っているのだとか。2020年、テルミン発祥より100周年に、その記録を更新するイベントを企画中なんだそうです。うぐぐ、私もテルミンファミリーに入りたい・・・・(笑)
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by sound-resonance | 2017-10-29 19:30 | 楽器 | Comments(0)

琵琶の鈴

竹生島の弁天様お参りの際に思わず買ってしまった琵琶型の鈴。可愛い。
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by sound-resonance | 2017-10-25 20:44 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

竹生島にお参りに行ってみた!

さてさて、竹生島参りの続きです。

竹生島へのアクセスは船で、主に長浜港からか近江今津港から往復することになりますが、電車の駅から近いのは近江今津の方で、徒歩5分ほどで、港に着きます。琵琶湖は広くて、さざ波の寄せる感じもまるで海、みたいではあるんですが、そこはなんといっても湖。チケット売り場に流れている童謡もあいまって、なんだかほんわかのんびりしたムードが漂っております(笑)竹生島って、人を寄せ付けない厳しい「信仰の島」みたいな勝手なイメージがあったんですが、もちろんガチお参りです、という方もいらっしゃるんですが、そもそも船着き場が「観光船乗り場」となっていて、観光地感の方が断然強いです。2017年10月現在、近江今津港から竹生島まで往復2590円、島に入ってから拝観料400円を払えば誰でも受け入れてくれます(笑)

ま、それはさておき、一日平均4便出ている船の最終便に乗り竹生島へ。30分程度の船旅です。島に行き着くまでに映像で島の歴史や自然環境などについて説明してくれるので、前知識はばっちり!?となります。

というわけで、無事竹生島に到着。
数件並ぶお土産物屋さんの前を通り過ぎ拝観料を払って入り口を入ると、いきなり急な石段が現れます。
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登りきると弁天様がお祀りされている宝厳寺です。
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元々は神仏習合で弁天様=水の神様=イチキシマヒメくらいの感じで弁天様がお祀りされていたところ、明治時代の神仏分離で神社にこれまで弁天様をお祀りしていた本殿を譲ることになり、こちらにはイチキシマヒメがお祀りされ、お寺にお祀りされることになった弁天様は長い間本殿がない状態が続いたのだそうです。昭和17年に今の本殿が建てられようやく弁天様を安置することができたのだとか。

ご本尊は60年に一度開帳される秘仏で普段は拝見することはできません。御前立の弁天様も遠くにいらっしゃるので、拝見はできません。でも、両脇に巨大な弁天様がいらっしゃいます。

本殿を出て、三重塔などを見ながら今度は観音様のお祀りされている観音堂へ。ここは西国三十三所観音霊場の三十番目の札所ともなっております。観音様の方も秘仏で、逗子の中に入っておられるので、拝見することはできません。御前立もなし。でも逗子はかなり近い場所にありまして、「この中にいらっしゃる!」感は半端ないです(笑)

面白いのは、この観音堂と神社が廊下でつながっていること。一応神仏分離って言われたし、分けてはみたけど、でも、信仰としては切り離せないんだよね、みたいな感じが満載です・・・・この廊下は、舟の材料を使って作られたところから「舟廊下」と言われているそうです。ちなみに外からみた舟廊下はこんな感じ。
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さてさて、その舟廊下を渡っていくと、都久夫須麻神社に到達。イチキシマヒメが主神として祀られています。

私は今回竹生島にお参りするのは初めて、しかも江ノ島弁天つながりでさしたる知識もなくいきなり感満載での訪問だったんですが、ここの神社の本殿はすごいです。さすが神仏分離を言われた時に神社側に譲っただけある本殿。ちょっと複雑な構造というのか、入れ子みたいな構造になっているようですが、外側の彫刻が半端ないです。創建当時は色も塗られていたのでしょうか?さぞかし綺麗だっただろうなあ、でも、木彫だけでもすごく綺麗です。後でよくよく見たら国宝でした(笑)

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弁天様の島として信仰を集めているのに、弁天様はこのすごい方の本殿に今はいなくて、お寺の方にいて・・・みたいなややこしいことになってますが、ま、要は、どっちでもいい、というか分かれてないんでしょうね・・・なので、まあ島自体も小さいし、そこにしか行く場所がないので、必然的にお参りすることにはなりますが、お寺と神社両方にお参りしてこその「竹生島」という感じです。

最終便で島に向かったので、最終便で近江今津に戻るしかなく、70分間の滞在でしたが、ひととおりお参りするのには70分で十分な感じです。私はやりませんでしたが、鳥居に向かってお願い事を書いた瓦を投げる「かわらけ投げ」にトライしても、十分時間があると思います。

お土産物屋さんやお寺、神社関係の方も通いで夜は無人になるという竹生島、江ノ島とは全然違う空気感というかエネルギーでした。これでいわゆる「三大弁財天」のすべてをお参りしたことになるんですが、淡水と海水の違いはあれ、船でアクセスするからでしょうか、厳島神社と、竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)のエネルギーの方が似ている感じ・・・・厳島と竹生島の優しいエネルギーに比較して、江ノ島はおきゃんな感じとでもいうのでしょうか(笑)あくまで私の個人的な感想ですけどね。まあ、行った日やお天気の加減などもあるんでしょうが、同じ弁天様をお祀りしていても違うもんだな、と思いました。

というあたりで気が向けばつづく



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by sound-resonance | 2017-10-23 00:01 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

琵琶湖はなぜ琵琶湖なのか

先日、といってももう先月の話になりますが、横浜のトリエンナーレに行った際、ついでに江ノ島の弁天様詣でをしたという話を書きました。
江ノ島の弁天様は、日本三大弁天のうちのお一人。後の二人はというと、広島県の厳島神社の弁天様と、滋賀県の竹生島の弁天様、ということになっております。随分前になりますが、厳島神社にはお参りしたことがあったんですが、竹生島には行ったことがない、自分の家からいうと、一番近いはず、なのに行ったことがない、まあ、こういうのってえてして「いつでも行けるわ」と近ければ近いほど思って行かない、というか行ったことがないまま終わってしまう、みたいなことがよくあるんですが、なんだかよくわからないんですが、ここのところ竹生島の弁天様のことが気になっていました。

ま、近いとはいっても散歩がてら寄ってみるくらいの手軽なわけにはいかないので、ま、そのうちに、なんて思っていたんですが、詳しくは書かないものの、こう、この時期に行っておかねばならぬ、という気になりまして、ちょっと無理をして時間を作って、竹生島の弁天様にお参りに行ってきました。

竹生島というと、琵琶湖に浮かぶ小島です。近畿圏に住んでいるので琵琶湖自体は何度も見ているんですが、改めて見ると大きいですね〜、寄せては返す波の様子はまるで海みたいです。実際この湖が「琵琶湖」と一般的に呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことで、それまでは「淡海」とか「近淡海」(おうみ)ともっぱら呼ばれていたそうです。昔の人はこのあまりにも大きい湖を「塩辛くない海」ととらえていたんですね。

「琵琶湖」とは、この湖が楽器の琵琶に似ているということから来ていますが、琵琶は弁天様の持つ楽器であり、「琵琶の形に似ている」という発想は竹生島に弁天様がお祀りされているところから来ているようですね。また、竹生島の弁天様は、聖武天皇が琵琶湖(淡海)に浮かぶ島に弁天様をお祀りしなさいという夢でお告げを受けたことから行基が開創したとされているそうで、日本三大弁天の中でも最も古いということで、「大弁財天」とも呼ばれているのだとか。江ノ島の弁天様は「島」といえども地続き、徒歩でお参りできますが、竹生島は船でしかアクセスできません。今回は近江今津港より船に乗りました。
という辺りで、つづく。
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by sound-resonance | 2017-10-21 10:11 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

天秤座の新月

急に寒くなりましたね。昔、私が子どもの頃は「衣がえ」の習慣があって10月に入るとみんなが一斉に長袖に変わる、みたいなところで季節の変わり目を感じたものですが、最近はそんな習慣もなくなって、この寒さの中半袖という強者もいれば、皮ジャン、ウールのロングカーディガンみたいな人もいて、服装が様々で面白いです。私もあわてて冬用のお布団を出しましたが、夜は特に冷えるので、あったかくしてお過ごしくださいね。

さて、星座でいうと、いよいよ天秤座の季節に入りました・・・なんだか信じられない思いもしますが、今年も残すところあと2ヶ月弱となりました。後を引くような残暑も去り、いよいよ本格的な秋、というよりは、冬の始まり、みたいな感じもありますが、いきなり冬にいくには早い、その前の実りの秋の季節でもあります。

そして、次の新月は、10月20日4時21分ごろ、天秤座の位置で迎えます。
サビアンシンボルとしては天秤座の27度「頭上を飛んでいる飛行機」となります。空の上から地上を見下ろす視点、広い視野がポイントになります。日常の生活の中でついつい忘れがちなマクロな視点、普段は目の前にある人間関係が自分の生活に影響し、気分その他諸々が左右されがちですが、意識して高い視点を持ってみるtいいかもしれません。そうすると、もやもやしていた何かがすーっと晴れるような瞬間があるかも。

なんとなく、新しい出会いの予感もしたりします。身近なところに案外相性ばっちりのお相手が潜んでいるかもしれませんよ。瑣末な癖、言葉使い、人からの風評、そんなものに惑わされずに、その人の全体を見てみるとよいかも。

なんにせよ、天秤座は社交性というキーワードを持つ星座でもあります。幾分寒すぎる感もありますが、夏とは違うぴりっとした空気の中、積極的に外出してみるのもいいかもですね。


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by sound-resonance | 2017-10-18 18:18 | 星読み | Comments(0)

Cubic Earth

「もしも地球が立方体だったら」という設定の映像。実際には、地球が立方体のまま維持されるということはありえない、んだけど、そんなこと百も承知で、それでも科学に興味を持ってもらいたい、という熱意が素晴らしい。合わせて、私たちが地球の自転をさほど意識せず、「安定して」地面の上を歩ける、世界一周旅行ができるというのは地球が丸いからだということにも思いを馳せさせてくれます。人間を含めて、地球上に今のような形の生命体があることは奇跡のような条件の重なり合いなんですね。中に立方体地球の人類「Cubic星人」が出てきますが、なかなかに興味深いです。気圧が高いからあんなにペラペラになっちゃうのかなあ〜。普段は海に住んでいて、子育てとかモノを作る時は陸に上がってくる、ちょっとクラゲにも似た星人達。魚のタンパク質と、植物からでんぷん質を摂取して生きているようですが、水陸両用っていうことは肺呼吸とは違うのかしら・・・残念ながら「Cubic星人」については、触れられていないんですが、「立方体地球」についてさらに詳しく知りたい方には、解説が用意されています。科学者さん、あくまで真摯です。興味のある方はそちらをどうぞ♪Cubic earth 解説サイト
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by sound-resonance | 2017-10-16 20:29 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

北斎さんのホロスコープ!?

このところ何回か葛飾北斎について取り上げていますが、北斎さん、テレビ番組、ウィキペディア等で人となりを聞き及ぶ限り、かなり変わった人だったみたいですね。絵にかける情熱は人一倍、でも、それ以外のことにはほとんど興味がない、掃除しないから部屋がちらかりっぱなし、どうしようもないところまでいったら引っ越す、そんなこんなで一生のうち引っ越した回数93回、とか、料理しない、あいさつしない、金勘定にも無頓着、だから、身入りは必ずしも悪くなかったはずなのに、生涯貧乏暮らし、興味のないことは徹底的にやらない、相当な変人だったみたいです(笑)こんな人物、ホロスコープとしてはどんな感じなんだろう、生年月日が知りたいなと思っていたら、ウィキペディアによると、生年月日は1760年10月31日とされているようですね。ただし、「?」がついているので、正確なところははっきりとはわからないようです。

ということで、断定的なことは言えないものの、北斎の生年月日、1760年10月31日だったらどう!?くらいの軽いノリで、北斎のホロスコープを読んでみたいと思います。

太陽星座としてはさそり座、太陽以外にも水星、金星がさそり座となっております。うーむ、北斎さん、ちょっととっつきにくい人ではあったでしょうが、ホントのところは冷たい人っていうわけでもなかったんでしょうね。仲良くなるのにはちょっと時間がかかるかもしれないけれど、情の厚い面倒見のいい人だったのかもしれません。「変人」の評判にもかかわらず!?弟子はたくさんいたようですし、出戻り娘のお栄さんのことも、温かく、かどうかはわかりませんが、受け入れて一緒に暮らしています。さそり座の支配星は冥王星なので、極端な感じ、とことん、な感じは表れている感じがあります。モノの言い方も、一見つっけんどんだけど、その実、その人のことを考えて言ってる、みたいな情の深いところもあったかもしれません。好きなことしかしない、というのは、金星に表れているような感じもします(笑)

目につく特徴としては、射手座の冥王星と火星がコンジャンクションしているということ。うーむ・・・・北斎さん、かなりもてたんじゃないでしょうか・・・うーん、はたから見たら、たいして男前でもないし、どこがいいんだ?と思うような人が不思議ともてたりすることがありますよね!?なんか、こう・・・片付けできない人なんてやだ!あんな変人やだ!なんて最初は思っていても、あの人の才能をホントの意味でわかってあげられるのは私だけ!みたいなモードに入ってしまうと、それは逃れられない恋の始まり、みたいな・・・ぶっちゃけ、北斎、かなりの女好きであった可能性も高い・・・
実際、北斎は2度結婚し、それぞれの妻との間に3人ずつの子どもをもうけているのだといいます。こどもは計6人。この時代は現代に比べて子どもの数も多かったでしょうから、この数を「多い」と断言はできないんですが、子どもってお栄さんだけではないんですね。お栄さんが出戻ってからは、弟子の出入りなどはあったんでしょうが、基本的には二人暮らしだったようなので、2度目の奥さんとも別れちゃったんでしょうか・・・・なんとなく、なんとなくですが、こう、スピード感があって、熱情があって、ゲット力は抜群、なんだけど、ゲットした途端、どうでもよくなっちゃう、みたいな、そういう性格も見え隠れするような・・・・北斎、典型的な「オレ様」なんですね。
恋愛以外のことでいうと、際限のないあくなく探究心も、ここで読み取れるのではないか、と思います。

「オレ様」の作品は、海を超えて、西洋の国々の人たちに熱狂的に受け入れられました。出島のオランダ人との交流はあったようですが、北斎自身は当時の一派的な日本人と同様に「海外」に出ることはありませんでした。彼の作品だけが海を渡り、広く受け入れられていったのです。ゴッホは、北斎を絶賛し、ドビュッシーは「神奈川沖浪裏」に着想を得て「海」を作曲したといいます。その「伝播」する感じは、水瓶座の木星に出ているな、と思ったりもします。

土星は魚座。弟子の一人が「先生に入門して長く画を書いているが、まだ自在に描けない・・・」と嘆いていると、娘のお栄が笑って「おやじなんて子供の時から80幾つになるまで毎日描 いているけれど、この前なんか腕組みしたかと思うと、猫一匹すら描けねえと、涙ながして嘆いてるんだ。何事も自分が及ばないと自棄になる時が上達する時な んだ。」と言うと、そばで聞いていた北斎は「まったくその通り、まったくその通り」と賛同したというエピソードが残っているそうです。あきらめられない、常に襲ってくる焦燥感、終わりなき探究心に駆り立てられたように見える北斎の人生。オレ様が「オレ」を捨てる時、自分を捨て去る時、晩年に見えてきた新しい世界、それが西洋絵画と和の絵画の融合した世界だったのではないでしょうか。

「富嶽三十六景」発表当時の北斎の年齢は72歳。まさに新しい世界にようやく会えた瞬間の作品だったのかもしれません。


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by sound-resonance | 2017-10-14 21:04 | 星読み | Comments(0)

北斎ブルー

さて、先日葛飾北斎の娘、お栄(応為)の大切にした「赤」について書きましたが、実際にまだ行ってないので、定かではないものの、現在あべのハルカスで開催中の「北斎展」の目玉のひとつが、富嶽三十六景のうちのひとつ、「神奈川沖浪裏」みたいですね。ポスターやなんかにもこの絵が使用されています。
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なんとこの絵は大英博物館からやってくるようです。版画なので、当時数千枚単位で印刷されたであろうと思われるこの絵ですが、今回展示される大英博物館蔵のものは、最初の頃に刷られたものであろうと言われていて、エッジが効いていて、色も特に鮮やかなんだとか。

この絵の青は「北斎ブルー」などとも言われて、西洋人にとっての「神秘のブルーの国ニッポン」の象徴のようにもなっていますが、日本古来の顔料である植物性の「藍」と、輸入物の「ベロ藍」の2種類の青がうまく使い分けられているという特徴があるんだそうです。

「ベロ藍」とは、プルシアン・ブルーのこと。フェロシアン化鉄を基にした合成の顔料で、18世紀にプロイセンで発見されたことからこの名で呼ばれるようになった濃い青のことです。日本には、文政、天保年間(1818〜1840年頃)にオランダ・中国から大量に輸入され、浮世絵にも使われるようになりました。プルシアン・ブルーは、ベルリン・ブルーとも呼ばれ、「ベルリン」がなまって、「ベロ藍」と呼ばれるようになったのだとか。

それまで使われていた顔料である藍や露草など植物性の青は、透明感はあるものの、重ね塗りができないなどの欠点がありました。しかしながら、プルシアン・ブルーは、重ね塗りができる、退色しにくい、など、これまでの「青色」にはない特徴があったのです。

新しもの好き、探究心旺盛な北斎がこの顔料に目をつけないわけがない(笑)彼はまた、西洋絵画も熱心に研究しており、遠近法も自らの絵に取り入れようとしました。プルシアン・ブルーの重ね塗りができるという特徴は、奥行き、立体感を出すにもうってつけでした。北斎は輪郭には伝統的な藍を、ベタ塗り部分には、新しい顔料であるベロ藍を用いて、波しぶきの水々しさと、奥行きのある迫力ある波のうねりを表現したんですね。

こうやって、完成した絵は海を渡り、西洋の絵師達に多大な影響を与え「ジャポニズム」ブームの一翼を担いました。西洋にとっての海の向こうの遠い国、海に囲まれた神秘の国、圧倒的な異国としての「ニッポン」のイメージを定着させるのに一役かったであろうこの絵の「青」が、元々はプロイセン、西洋から来た「青」だったというのも面白いですね。

とか書いていたら、「北斎展」も見に行かなくちゃ、という気持ちになってきました。混むんだろうなあ〜(泣)


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by sound-resonance | 2017-10-12 21:02 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

ホクサイブルーとムスメのアカ

三連休が終わりましたね!ハッピーマンデーが施行される前は、体育の日というと今日、10月10日と決まっていて、屋外の行事も多かったですが、この日は不思議と晴れの日が多くて、さすが体育の日!などと思っていたものです。三連休になってからは、体育の日は晴れたり雨だったりはらはらしたものですが、今年はどちらにしろ晴れてほっとされた方もいらっしゃったのではないでしょうか。なんだか、10月とは思えない暑さがぶり返してきていますが、朝晩は冷え込んでいるようなので、くれぐれも体温調節に気をつけて風邪など引かないようにお過ごしくださいね。

さてさて、大阪、あべのハルカスで「北斎展」をやっているようですね。家にテレビを置いていないので、普段はテレビを見ないのですが、連休中に実家に帰っておりまして、朝何気にテレビを見ていると、再放送も含め、葛飾北斎特集をなんと3本続けてやっておりました。何?この北斎押し!?いいのか、NHK!?あべのハルカス、こんなに宣伝しちゃって・・・とも思うんですが、何かしらの提携でもしてたりするんですかね?

ま、それはさておき、NHKの戦略に乗せられて?3本連続で思わず北斎特集を見てしまい、にわかに北斎にちょっぴり詳しくなった私なんですが、北斎にはお栄さんという娘さんがいたのは初めて知りました。葛飾応為という画号もありながら、彼女自身の作とされる作品は極端に少なく、もっぱら父北斎の画業の手伝いをしていたのではないか、と言われているのだそうです。

面白いな、と思ったのが、応為が「赤」にこだわっていたという話。応為さんは、父北斎に「美人画ではかなわない」と言わしめるほど美人画にたけていましたが、たおやかで美しい女性を描く時に、特に赤にこだわって絵を描いていたそうです。例えば襦袢の赤。江戸時代の庶民は華美贅沢を禁じられていて、着物の色もネズミ色、茶色、紺色など、地味な限られた色しか許されていなかったため、下着(襦袢)の色に凝っていました。その中でも、魔除けの意味も持つ赤い襦袢が江戸時代には大流行りだったそうです。今も巣鴨界隈で赤い下着を売っているお店がありますが、案外おしゃれなのかも(笑)元々「長襦袢」は遊女が着たのが始まりだそうですが、プレイガールの粋を町娘もこぞって取り入れていたのかもしれませんね。長襦袢は、下着といってしまうと、見えてはいけないといったイメージになってしまいますが、むしろ「見せる」ことを意識したものだと思います。応為はこの襦袢の赤を大切にし、見せる下着としての襦袢を美しく表現しました。赤い襦袢に女性の色気みたいなものをこめたのでしょうね。

赤は血の色、生命そのものの色。父親の北斎が「ホクサイブルー」と呼ばれるほど青で語られることが多いのに比べて対照的だな、と思います。応為が描いたのであろうある絵の女性の襦袢には模様として、クモの巣と蝶が描かれたものがあるのだそうです。テレビの番組の中ではクモの巣に捕われているのは、応為自身、庶民が欲しがるのは父北斎の絵、いくら自分が上手に絵を描いても、誰も応為の絵は欲しがらない、女性が絵師として自立するのは難しい時代に生きた応為の、自由のなさ、がんじがらめの窮屈さを遊女の姿に重ねて表しているのではないか、と解説していましたが、それを赤のベースに乗せてくるところに応為さんのたくましさ、力強さ、また怒りも感じたりするのです。一度嫁ぐものの、ものぐさプラス絵師である夫の絵を下手だとけなす口の悪さで離縁され、出戻ってきたお栄(応為)さん。その率直さ、気性の激しさも「赤」にぴったりですね(笑)



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by sound-resonance | 2017-10-10 21:29 | 観る・読む・聴く | Comments(0)