ロザリオ礼拝堂
パリからTGVでニースへ行って、そこから30分ほどバスに揺られてバンスへ。バス停留所近くにある案内地図をメモして、歩くこと約20分。見晴らしのよい小高い場所にあったような気がするけれど、細かいことはすっかり忘れてしまいました。それだけ昔の出来事なのだけれど、一歩礼拝堂の中に入った時の感動は、今でもはっきり覚えています。
壁や床は一面真っ白で、とにかく明るい空間。白い壁に黒だけのシンプルな線でキリストの誕生から死までの物語が描かれています。私はクリスチャンではないので、ヨーロッパで宗教画とか、宗教に関係する彫刻やなんかを見る時には信仰心からというよりは、美術品を見る感覚で見ていて、そのせいもあるのかもしれませんが、キリストの磔刑の絵とか像やなんかは痛々しくて見ていて息苦しくなってくることも多いのだけど、黒だけのシンプルな線で表現された絵からはそんな痛々しさは感じられなくて、ただただ「信仰心」みたいなものがシンプルな形で伝わってくるような感じ。
青、黄、緑の限定された色とシンプルな形で構成されたステンドグラスは、それそのものも美しいのだけれど、ステンドグラスの「色」を通して外から入ってきた光が、白い床に様々な色を与えてちらちらと揺らいで、時には何かの加減でガラスの色にはないはずの「赤」が白い床に表れたりして、見飽きるということがなく、しばらく呆然として、床に遊ぶ色を眺めていました。そこは、犯した罪を懺悔して赦しを乞う場所というよりは、無垢に明日への希望を願う場所のように私には見えて、少々やさぐれ気味だった心がすぅっと軽くなるような気がしました。ガラスに「赤」を使っていないことが独特の「軽さ」を生んでいるのかもしれませんね。他の教会の「重厚さ」とは全く対極の軽やかさでした。最初は、マチスという「アーチスト」が作った礼拝堂ってどんななんだろう?っていう美術鑑賞の延長のような気持ちで訪れた私でしたが、個々の宗教を超えて「リセット」された感じ。もしかすると、ああいうのを「赦し」っていうのかもしれないですね。
当時はまだインターネットなど普及しておらず、ガイドブックにも詳細は記されておらず、しかも何せ少々やさぐれていたので、見れなかったら、それはそれで仕方ないや、くらいの気持ちでパリからニースに向かった私。ニース駅前の安宿(ニースといえば、海岸沿いの高級ホテルが有名ですが、駅前にはリーズナブルなホテルがたくさんあります)でたまたま一緒に朝ご飯を食べた日本人の女の子のアドバイスで滞在を一日延ばしたおかげで、この貴重な体験をすることができました。私の旅は、そんな小さな幸運な偶然の積み重ねです。まあ、インターネットがいくら普及しても、予想もつかないようなことが現地で起こるのは変わらないですけどね。(この前のデロス詣みたいにね-笑)
→ロザリオ礼拝堂(マチス)
by sound-resonance | 2010-07-23 02:22 | 音・色あれこれ