色をいただく

 台風一過の涼しさもつかのま、またもや暑い日々が戻ってきましたね。秋が恋しい今日この頃です。
 さて、今日は、このブログではおなじみの染織家、志村ふくみさんの文章を久しぶりに紹介させていただきますね。

 『ある人が、こういう色を染めたいと思って、この草木とこの草木をかけ合わせてみたが、その色にならなかった、本にかいてあるとおりにしたのに、という。
 私は順序が逆だと思う。草木がすでに抱いている色を私たちはいただくのであるから。どんな色が出るか、それは草木まかせである。ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわずにこちら側に宿すのである。
 雪の中でじっと春を待って芽吹きの準備をしている樹々が、その幹や枝に貯えている色をしっかり受けとめて、織の中に生かす。その道程がなくては、自然を犯すことになる。蕾のびっしりついた早春の梅の枝の花になる命をいただくのである。その梅が抱いている色は、千、万の梅の一枝の色であり、主張である。
 私たちは、どうかしてその色を生かしたい、その主張を聞きとどけたいと思う。その色と他の色を交ぜることはできない。梅と桜を交ぜて新しい色をつくることはできない。それは梅や桜を犯すことである。色が単なる色ではないからである。
 科学染料の場合はまったく逆である。色と色を交ぜ合わせることによって新しい自分の色をつくる。単一の色では色に底がない。科学染料は脱色することができるが、植物染料は脱色することができない。自然が主であるか、人間が主であるかの違いであろう。』
          (志村ふくみ・文 井上孝雄・写真 「色を奏でる」より)

 私たちが生まれもって与えられた「色」も草木が持っている「色」と同じようなものだと思います。草木も人間も、自然という有機体の一部。どれひとつとして、同じもののない、何かと交ぜることのできないそれとして完璧な色を持っています。私たちにできることは、それを故意に「何か」に変えようとするのではなく、大切に受けとめて、いかに生かしていくかということなのだと思います。
 サウンドレゾナンスでは声のエネルギーから、その人がどのような色を持っているのかを読み解いていきますが、それは、そこに何か故意に変化を起こすためのものでは決してありません。あなたの今、ここの「色」をまるごと受けとめ、生かしていくためのものです。時には途方に暮れるほど、自分という存在が一番わからない「他者」になるけれど・・・ほんのちょっと距離をおいて、客観的になれるツールとして、活用してくださいね。
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by sound-resonance | 2010-09-12 00:27 | 音・色あれこれ | Comments(0)