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豊島 その1

 鳴門の次の日は、高松港から船に乗って豊島へ。
豊島と書いて「てしま」と読みます。
読み方がわからなくて、でも、確か「とよじま」ではなかったよな、と思い、チケット売り場で「としま行き」なんて適当に言ってたら「これは、『てしま』って読むんじゃあ~!」と後ろに並んでいたおじさまからすかさずつっこみが入り(笑)それでがっつり覚えることができました(笑)
直島経由で船に乗ること、約50分、豊島に到着。

豊島で見たかった作品が2つあって、そのひとつが、木村晋さんの作品。木村さんが小林ハルさんを描いた作品が3点あります。
小林ハルさんとは、三味線を弾き、唄を唄いながら旅をしてまわった盲目の女芸人、最後の瞽女(ごぜ)、と呼ばれた人です。
古民家の縁側から正面にすぐ見えているのが、ハルさんの手を描いた作品。10Hから10Bまで様々な硬さの鉛筆を使って描かれたモノクロのハルさん100歳の手。畳1枚分くらいある大きな絵です。手というより、一瞬「手袋」に見えるくらいのしわ、小さな骨を覆う、しわのよった皮の手袋・・・・近寄ってみると、黒が何度も何度も線でかさねてあって、黒は限りなく、黒く、深い。それに比べて、白が所在なく、不安げなのが、印象的でした。同じフロアにハルさんの目の辺りをクローズアップした作品があるのですが、開かれた目が白くて、ああ、白い目は光(色)をとらえることができないのだなあ、と改めて思ったりもしました。
 受付でハルさんの人生を書いた資料を貸してくれるのですが、その資料を読むだけでも、ハルさんの人生の壮絶さが、伝わってきます。生後100日で失明し、母親から、身の回りのことも一人でできるように、一人で生きていけるようにと、厳しくしつけられ、瞽女として生きていくために師匠に弟子入りし、厳しい修行、そして、つらい旅回りの日々。
ハルさんは母親から「目がみえないものが生きるには人に与えつくせ」と教わったそうで、どんなに人につらい目にあわされても、奪われても、それを黙って受け入れてきたのだそうです。
「そんな理不尽な・・・」と思うけれど、彼女が与えられた人生を受け入れ、全うし、瞽女を廃業しようとした瞬間に脚光を浴び、瞽女唄の継承という第2の人生を歩んだことは、なんだか象徴的だな、とも思ったりするのです。
 彼女が前世のカルマを負っていたのかどうかはわかりません。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、もしそうだとしても、彼女は確実に今世でカルマを浄化したのでしょうね。そして晩年光に包まれて105歳の寿命を全うされたのでしょう。この彼女の放つ闇と光のコントラストに惹かれて木村晋さんは、鉛筆画という自らの表現方法で表したいと思われたのでしょうね。彼女の放つ白の所在なさ、不安げな感じは、また固さを持たない生まれたての所在なさ、だったのかもしれません。
 2階にも、ハルさんの横顔の作品があります。お見逃しなく。

                                   つづく

by sound-resonance | 2012-09-09 10:39 | 観る・読む・聴く