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いまさら、アナ雪

「アナの雪の女王」、去年めちゃくちゃヒットしましたね。あまりにも巷で「ありの~ままで~」とか「レリゴ~、レリゴ~」とか聞くもんで、一応円滑な人間関係を保つために(笑)さらっと見てスルーしてましたが(笑)、この映画も先日取り上げた「魔女の宅急便」と同じく、自分の才能との向き合い方がテーマの映画ともいえると思います。

この映画って、主人公が2人いて、お姉さんのエルサが王位継承権の持ち主、かつ雪と氷に関する魔法の力を持っています。妹のアナには、そういう能力はなくて、お姉さんが大好き。二人が小さい頃一緒に遊んでいる時に、エルサの使った魔法の力で誤ってアナが死にかけたことがトラウマになって、エルサはアナを避けるようになります。

エルサの戴冠式の日、アナが出会って一日の王子ハンスと結婚するというのを聞いて、エルサはそれに反対し、口論になった末、エルサは魔法を爆発させてしまい、常夏だった王国は雪と氷に覆われてしまいます。

自分の力をコントロールできず、周りの人から恐れられることに耐えられずに、エルサは王国を去り、自分のための氷の城を建て、その中で、自分一人で生きていこうと決めます。

ここで、あの有名な「レリゴ~」なわけですが。

あの曲って、どうしてここまでヒットしたんでしょうね。

Let it go
そのままで行こう、あるがままに行こう。
これが「ありのままで」に訳されるのには、何の問題もありません。

でも、この曲って、映画のストーリーの中盤に流れる曲で、そこから次の展開がまだまだあるんだ、ということに着目する必要があります。

悦月さんが、英語と日本語の歌詞の対比を載せていらっしゃいますが、英語の歌詞って、おおざっぱにいうと、

「私は、こんな奴やから、これでいくわ、それで一人になったってええし。それで自由になるんやったらそっちの方がええわ。人の理想に合わせるなんてまっぴらやし。嵐も吹けば?全然寒くないし!」

って、なぜか関西弁になってますが(私が感情移入しやすいから、ですね・(笑))、自分の力を認めて、自立する、一人で生きていくっていう宣言は素晴らしい、でも、若干逆切れの匂いが・・・(笑)この時点のエルサの中には「他の人」の存在が一切ないわけですね。
人に気を遣って、自分を出さないように自分を小さく小さく見せている、その時点から、自分を見せていこう、自分のパワーを認めていこうっていうのは立派な前進です。
たぶん日本ってすごく狭い国で、人に協調する、合わせるっていうのが一番の美徳みたいになってるから、人と協調することを第一に置きつつストレスをためている人も多いんでしょうね。そこにきて「ありの~ままで~」とか言われたら、そりゃあもう、「ああ、ありのままでいいんだ!」って飛びついちゃった人も多いかもしれない。でも、この歌って、ありのままを、他の人に見せても、今まで素の自分を出せないで傷ついてた私も含めて、丸ごとそのまま受け入れてくれる、っていう歌ではないような気がします。

エルサの次のステップは、自分のパワーを受け入れつつ、他の人達とどう共存していくのか、ということ。

氷の宮殿を訪ねてきたアナは、エルサに王国を元の夏の王国に戻してほしいと頼みます。そんなことできない、とエルサ。できる、とアナ。できない、できる、できない、できる、という応酬があって、またもや魔法が暴走。アナの心臓に当たってしまい、アナは宮殿から追い出されてしまいます。

アナは、身体が凍り付き、命を失う運命に。それを救うには「真実の愛」が必要。

ここで、これまでのおとぎ話同様、王子様が登場して、真実の愛=キスで、彼女の魔法は解けるという展開になるのかと思いきや、アナと結婚の約束をしたはずのハンス王子は、アナのことをちっとも愛しておらず、王位をねらっていただけだった、ということが発覚。

アナ、ショック!
でも、雪だるまのオラフから、愛とは自分のことよりも相手のことを思い遣ることだと教わったアナは、身を挺してハンスに殺されそうになっていたエルサを助けます。

氷の彫刻になってしまったアナ。
でも、アナの決死の行動によって、エルサが、真実の愛こそが魔法をコントロールする方法なのだということに気づいた時、アナは命を吹き返すのです。

魔法は、「恐れ」ではなく、相手のことを心から思い遣ること、真実の愛によって、コントロールできる。
エルサは、王国に帰り、夏を取り戻しました。彼女は、魔法をコントロールしながら、人と共にある術を知り、次のステップに移ったのです。

「魔法」は、「才能」に置き換えても、意味が通じると思います。

ディズニー映画が「true love」っていう度に、なんだか、背中がむずがゆくなるような思いをしていた私ですが・・・(笑)愛にもいろいろなバリエーションが出てきましたね。

愛って、私たちが元々はひとつであることを思い出すということだと思います。そこには、自己と他人の区別はありません。それが「相手を思い遣る」という言葉で表現されていると思います。
でも、それって、自分のことよりも、他人のことを常に優先させるっていう意味ではないと思います。それでは、地球に一人一人の個性と肉体を持って生まれてきている意味がないからね。
そして、常に他人のことを優先していたら、自分のことは誰かが愛してくれるっていう意味でもないと思います。人のことを愛するように、自分に向ける愛も大切に、ね。

by sound-resonance | 2015-01-29 07:12 | 観る・読む・聴く