五感で感じる

「勉強を始めた当初から、私には、鋭い感覚と素晴らしい感受性を持ったひとが付き添ってくれました。私が何か物に触れる際には、そのひとは必ず、その物の色と、発する音を教えてくれました。だから、わたしは何か思い浮かべる際には、色と音を付けて想像する、という習慣を身につけました。私が色と音を想像する能力を身につけた原因のひとつは習慣にあります。そして、もうひとつの原因は心の中の感覚機能にあります。五感を前提として作られている脳というものは、しきりに五感で感じたがるのです。世界をひとつのまとまりとして認識するためには、それに色がついている必要があるのです。私に実際の色が見えるかどうかということにかかわりなく、そうなのです。色というものを捨て去ってしまうなんて悲しいではありませんか。私のそばで夕陽や虹のしてきな色を眺め、うっとりとしているひとたちがいるなら、それについて一緒に語りあうことで、その幸せを分かちあうほうがずっといいではありませんか。」
 ヘレン・ケラー「私の生涯」(1902)
  ※リチャード・ドーキンス「虹の解体ーいかにして科学は驚異への扉を開いたかー」より孫引き

例えば、これは、リンゴ、これはバナナって人は一瞬のうちに認識してしまって、意識してはいませんが、何かを認識する時って、五感をフル回転して、認識しているんですね。
ヘレンケラーが世界を「認識」する瞬間は、舞台「奇跡の人」で、あまりにも有名ですが、激しく自分の手を打つ冷たいものが何であるのか、ヘレンは最初知りませんでした。勢いよく手を打つ冷たいものをヘレンの心を打った時、彼女はまだは五感で感じ取るということを知りませんでした。もしかすると、水しぶきの「匂い」は感じていたかもしれません。でも、そのものの「ビジョン」はまだそこになかったんですね。でも、それをサリバン先生が指文字で「WATER(水)」というものであると、ヘレンに教えた瞬間、ヘレンの内側に「水」が認識され、指文字で「WATER」と人に伝えることで、「水」を共有できるようになったのです。「奇跡の人」の中では、指文字の他に「水」の視覚的な情報を合わせて教えたという描写はないような気がするけれど、前文のようにサリバン先生が必ず色と音を合わせてヘレンに教えていたとすると、そこからヘレンの内側に「ビジョン(視覚的情報)」が入るようになったのでしょうね。

「水」を知る前のヘレンの世界は恐怖に満ちたものであったに違いありません。ブラックボックスに入っている物を当てるゲームがありますが、入っているものが例えうさぎのぬいぐるみみたいなたわいもない可愛いものであっても、何が入っているかを「知らない」でボックスの中に手を突っ込むのって、めちゃくちゃ怖いですよね。ヘレンの世界もそんな感じだったのかも。その恐怖をだれにも伝える術がなかったのだとしたら・・・・・荒れちゃうの、当然ですよね。
知る、そして、伝えて共有する、コミュニケーションが人を安心させるんですね。

ただし、物の認識って慣れてくると、おおざっぱにしか確認せずに、自分の内側にある「何か」だと認定しちゃう部分もあると思います。実のところをいうと、人の顔って、日々違っていて、脳内の「補正機能」「統合機能」があるからこそ、誰だって特定できるわけですが、その日々の違いに気づかないで、毎日だれ〜っと物を認識しちゃってるところもあるかもですね。
たまには、意識して、五感をフル回転してみましょう。見慣れた風景に新しい発見があるかもしれませんよ。
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by sound-resonance | 2015-04-07 20:46 | 観る・読む・聴く | Comments(0)