夜と霧

「ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわ れはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問 題なのである。」

「ところで具体的な運命が人間にある苦悩を課する限り、人間はこの苦悩の中にも一つの課題、しか もやはり一回的な運命を見なければならないのである。人間は苦悩に対して、彼がこの苦悩に満ち
 た運営と共にこの正解でただ一人一回だけ経っているという意識にまで達せねばならないのであ  る。何人も彼から苦悩を取り去ることはできないのである。何人も彼の代りに苦悩を苦しみ抜くこ とはできないのである。まさにその運命に当った彼自身がこの苦悩を担うということの中に独自な 業績に対するただ一度の可能性が存在するのである。
  (中略)
 われわれにとって問題なのは死を含んだ生活の意義であり、生命のみならず苦悩と死のそれとを含 む全体的な生命の意義であったのである。
 苦悩の意味が明らかになった以上、われわれは収容所生活における多くの苦悩を単に「抑圧」した り、あるいは安易な、または不自然なオプティミズムでごまかしたりすることで柔らげるのを拒否 するのである。われわれにとって苦悩も一つの課題となったのであり、その意味性に対してわれわ れはもはや目を閉じようとは思わないのである。
  (中略)
 ・・・私がかつて、どうして彼の飢餓浮腫が癒ったかを聞いたある友は、比喩的に次のように云っ た。「私がそれに泣き抜いたからです。」

 フランクルの「夜と霧」、学生の頃から読まなくちゃ、と思いながら、怖くて手に取ることができなかった本。ふとしたきっかけで友人から改めて薦められ、意を決して読んでみることに。
作者は、アウシュビッツでの収容生活を経験した精神科医ですが、彼の体験を元に書かれたこの本の中で語られていることは「科学」を超えていると思います。人間がこれ以上ないというくらい過酷な状況におかれた時、肉体が限界にまで追い込まれた時、生と死を分けるのは、私たちをいかしている大きな存在に気づき、その存在が私たち一人一人に託した使命、意志を生き抜くと決意するかどうか、その「存在」を神と呼んでもいいだろうし、別の呼び方でもOKだと思います。その「存在」が実際にあるのかどうかというよりは、その概念を持つかどうかが大事なのだと思います。
コンセプトが人間を良くも悪くも、人間たらしめます。
ヒトラーの「コンセプト」によって、アウシュビッツという悲惨な歴史が刻まれました。でも、その悲惨さの中でもコンセプトは自分で選び取ることができるのだということをこの本は教えてくれているような気がします。この歴史は二度と繰り返されてはなりません。でも、起きてしまったことから学んだこと、それを後世に伝えようとする勇気からは、学び、感謝して受け取りたいものです。

 原作は、1946年、最初の日本語訳は1961年に発行されていますが、2002年に新版が出ているようですね。私が「学生の頃、怖くて読めなかった」みたいな話をしたら、友人は「怖くないよ」と言ってましたが、その方は新版の方をお持ちだったのだろうと思います。最初の版の方は、写真と解説付きで、やはりかなりショッキングな内容なので、注意してお読みくださいね。
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by sound-resonance | 2015-04-25 20:57 | 観る・読む・聴く | Comments(0)