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色のない人!?

図書館に本を返しに行って、ふと目についた本。装丁がカラフルなのと、「色彩」っていうタイトルが目に入ったので、何の気になしに借りてみました。
村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」っていう本。お話の中に、色のついた名字を持つ、様々な登場人物が出てきます。
あらすじは、詳しくは追いませんが、出てくる色は、赤、青、白、黒、緑、で、灰色の6色。タイトルにある「多崎つくる」っていうのが主人公で、彼は色彩を持たないっていう設定。彼には、周りの人が色彩(キャラクター)を持っていて、自分だけが色彩を持たない凡庸な人間っていう風に思えているようです。本人がそう思っているだけで、彼の周りの人間には、彼が名字に「色」を持っていなくても、しっかりとキャラクターを持った人物にみえているようで、彼の「巡礼の旅」が進むにつれて段々とそれがわかってきます。

さて、映画や小説の中に出てくる色について、これまでたくさん、解釈した文章を書いてきましたが・・・・・これほど、色と登場人物に関連性を感じない作品もあんまりなかったような・・・・いや、あるんだろうけど、ここまで「色」がテーマになっていながら、色がキャラクターと無関係っていうのも、なかなか珍しいな、とちょっと思ってしまいました(笑)色っていうのは、単なる小説の材料っていうのか、「記号」でしかなかったのかなあぁ・・・・

例えば、「赤松慶」と「青海悦夫」のキャラクターは、むしろ逆なような気がします。頭脳明晰、理論で押す、でグル(教祖)みたいな位置にのしあがっていく・・っていうキャラクターは、「青」の方がしっくりくるし、体育会系のゴリラといえば、「赤」だろう、みたいな・・・・(笑)
女の子達の名前が「白」と「黒」っていうのも、なんだかな、って感じです。源氏物語には、様々な色彩が出てきて、それが見事にそれぞれの「女性」のキャラクターを表現しているように感じられますが、そこが逆にモノトーンとは・・・・・・「聖なるもの(白)」と「俗なるもの(黒)」みたいな対比なんでしょうか。うーん、なんだかそれもしっくりこない。

唯一、フィンランドで陶芸やりながら、だんなと子どもと暮らしている「黒埜恵理」のキャラクターには、「ブラックマリア」的なものを感じました。彼女は、「土(陶芸)」と出会い、日本を脱出することで、白の束縛から離れ、自分の中のマリア様を外側に表現できるようになったのかもしれませんね。ま、それにしたって、何もフィンランドにまで行かなくとも、っていう気もしなくはないですが(笑)っていうのか、何故にフィンランド!??陶芸とかだったら、スペイン、マジョルカ島とかその辺りの方が「ぽい」感じがするんだけどな、ってこれは個人的感想ですが。

こういう色についての解釈をさせないような計算された攪乱だとしたら、お見事、な感じではあるんですが、それにしても、なんだか、せっかく「色」をテーマにしてるのに、それがあんまり生きてないな、っていうのが正直な感想でした。

というところで、作者の村上春樹さんの方に興味がわいて、ちょっと星読みをしてみました。村上春樹さんというと、以前「1Q84」について書いたことがあって、時代とのシンクロ力のある方だな、っていう感想を書いたことがあるんですが、それが、星の位置からもかいまみれるような感じはします。風の星座が多くて、水の星座がひとつもないので、情感を語るっていうよりは、時代を語る、それを知的に語るっていう方向になって、それがあの独特の「無国籍さ」とか万人に当てはまりそうで、実は誰にも当てはまってるわけではない「軽さ」みたいな感じにつながってるんでしょうね。月と海王星、月と火星が60度なのも、ちょっと面白いな、と思いました。現実からちょっとだけずらしたような夢の世界、そこにシフトすると俄然小説を書く気になる、みたいな・・・・(笑)でも、小説家になる前はバーを経営していた、けっこう流行ってたっていうのもうなづけるような気がします。太陽的には山羊座だから、夢の世界にシフトしていない時は、実利的な部分もたくさんお持ちなんでしょうね。

サウンドレゾナンス的には、色のない人なんて、誰ひとりいません。主人公の多崎つくるが、色がないようにみえたのは、彼のマルチ性故、だったのかもしれません。

と、勝手な解釈をして、気がすんだので、今日のお話はおしまい(笑)

by sound-resonance | 2015-08-12 22:02 | 観る・読む・聴く