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島と星座とガラパゴス

週末を利用して、ヨコハマトリエンナーレを見てきました。トリエンナーレなので、前回開催されたのは、2014年。この年のディレクターをされていたのが、大阪在住のセルフポートレートで有名な森村泰昌さんということで、興味を抱いて見に行ったのが、この美術の祭典を訪問した最初だったんですが、もう3年もたっちゃったんですね。まずもってそのことに驚きつつ、今年も見に行ってきました。

今年のタイトルは「島と星座とガラパゴス」というものなんですが、テーマ(ディレクターズメッセージ)が「『接続性』と「孤立」から世界のいまをどう考えるか?」というもの。私は前回のトリエンナーレしか見ていないので、最初からそうなのかは定かではないし、昨今の現代アートの傾向として、社会的課題との接点というのがあるような気もするので、そういった傾向を踏襲しているのかもしれませんが、個人的な感想としては、このトリエンナーレは特に社会性の強い作品を集めてあるな、という感じがします。

インターネットはもはや当たり前のように生活の中に入り込み、SNS等でこれまでとは全く違った「つながり」が見られるようになった今日この頃。一方で、個人の処理能力をはるかに超えた情報過多の時代の中であっぷあっぷしながら、限られた社会の中で孤立をひしひしと感じるようにもなっている社会。そんな社会の中に潜む「接続性」と「孤立」をテーマに約40組のアーチストの作品が集結しています。

その中でも、今回特に印象に残った作家は、木下晋さんと、クリスチャン・ヤンコフスキーさんの2人でした。

木下晋さんは、10Hから10Bまで様々な硬さの黒鉛筆を用いて、極めて緻密なモノクロームの絵を描かれる方。最後のごぜとも言われる小林ハルさんを描いた作品が瀬戸内海の豊島に展示されているのを見たことがあるので、初めてではないんですが、このトリエンナーレでは、元ハンセン病患者で詩人の桜井哲夫さんを描かれた作品他数点が展示されています。

合唱する手。黒鉛筆で描いたモノクロの世界。なはずなのに、角度によって、黒い部分が光って黄金色に見える。深い闇の中の金色の光。どきっとして角度を変えると、金色は黒に戻る。合わされた手の中には光がありました。
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木下晋さんは、孤独の中で生をまっとうした人たちに強く引きつけられ絵を書き続けてきました。小林ハルさんも、桜井哲夫さんも、その生き様をたどると、絶句してしまうような壮絶な人生を歩まれています。時代もあるんでしょうが、人権もへったくれもない、差別と偏見と貧困にさらされた人生。その中でも、彼らは、その人生を受け入れ、人としての尊厳を失うことはないのです。

そして印象に残ったもう一人、クリスチャン・ヤンコフスキーの作品は、身体と公共彫刻の関係性について言及するもの。その中のひとつ「重量級の歴史」は。ポーランドの重量挙げの選手たちが、ワルシャワ市内の数々の歴史的人物の彫像を持ち上げようと試みる様子を追った映像作品です。選手たちが持ち上げようとするのは、兵士の像であったり、人魚の像であったり、アメリカのレーガン大統領の像だったりして、それぞれに、ポーランドの「重い」歴史を象徴するものだったりするんですが、普段は自分自身の肉体の限界に単独で孤独に挑む選手たちがチームワークで彫像を持ち上げようとするところ、彼らがそのチャレンジに極めて真面目に取り組んでいること、持ち上がれば成功、持ち上がらなければ失敗というシンプルさ、成功した時のレポーター、観客を含めた喜びっぷりがなんだかほのぼのとしていて、見ていて楽しかったです。ま、テーマは「重い」んですけどね。でも、このシンプルさがいい。

「昭和世代」の私が単純についていけてないだけかもしれませんが、新たな「接続性」の時代の現代アートの展覧会は、「写真OK」が標準になってきていて、いたるところでシャッター音が聞こえてきます。私のようにブログに貼付ける人というのはむしろ少数派で、インスタグラム等SNSで短い文章と共にリアルタイムにアップされ、一時的に盛り上がり、忘れ去られていきます。このトリエンナーレでは、難民の問題、民族間の扮装問題、日本でいえば、原発の問題など「重たい」テーマを取り上げた作品がたくさんあるんですが、それらが、消費されていく感じにも若干違和感を感じたりもしたのです。アートって、なんだったっけ?この「昇華」されきらない発展途上な感じは何だろう・・・・みたいな・・・。ま、それも、リアルタイムな「現代アート」なのかもしれませんね。

ヨコハマトリエンナーレ 横浜美術館他2会場で開催中。11月5日まで


by sound-resonance | 2017-09-26 07:42 | 観る・読む・聴く