なぜに、キリスト?よくわからないのですが、なぜかキリスト。
「聖おにいさん」の影響もあるのでしょうが(しばらくだいぶはまっていたので・・・笑)、そればっかりじゃない気になりっぷり。
前にもブログに書いたことがあるのですが、私はクリスチャンではありません。なので、聖書を読む習慣もないし、キリストやキリスト教のこともあまり詳しく知りません。でも、ヨーロッパに行って教会を見学したり、博物館に行ったりして、キリストの磔の像とか、ピエタの像なんかを見たりすると、なんだか、痛々しくてつらいなあ、なんて思ってました。昔イタリアのシエナに行った時、博物館に入ったのですが、赤&黒&金のゴシックな磔がずらーっと並んでいて、ちょっとめげました・・・。ゴシック、血がリアル・・・(泣)
どうして、キリストは、あんなに痛い目にあって、後に復活こそすれ一度死なないといけなかったのか?「神よ、なぜに私をお見捨てになるのですか?」とキリストは死ぬ間際に叫んだというし、死の間際には復活することを知らなかったはず。
キリスト教では、キリストが、私たちの罪を背負って死んでくださったのだ、と言います。
キリストのことを考えて考えてずーっと考えていて、私はそこがつらかったんだ、怖かったんだ、と気づきました。
キリストに対する罪悪感。
クリスチャンでもない私が何故にそこまでキリストに対して罪悪感を持っていたのか、これもまた謎ですが、日本に西洋文化が気づかないうちに浸透しているというひとつの証かもしれません。
ここいらで、猛烈にオーラソーマの55番が気になり出しました。
55番、キリストのボトルです。
クリアー・レッドのこのボトルも、なんだかちょっと怖くて、自分が使う日がくるなんて思ってもみませんでした。気になっていないふりをして、避けて通ろうかとも思ったのですが、無視できないくらい気になって仕方がない。
仕方がないので、使ってみることに・・。

キリストのボトルのキーワードは、「物質の世界に入る、光とインスピレーション」、内なる部分に光をもたらす目覚めのボトルです。
使ってみて思ったのは、キリストは、肉体に意識(光)をもたらすために、逃げなかったのではないか、ということ。
キリストによって救われた人もいるかもしれません。でも、彼自身は彼自身のためのチャレンジとして、磔を受け入れたのではないか、そして、自分自身が内なる部分に光をもたらし、目覚めを引き受けるとするならば、罪悪感も持つ必要はないのでは?そんな気がしたりもするのです。
幸いなことに、キリストのボトルを塗っても痛くはありません(笑)ちょっと強烈に効きすぎる感じもあって、休み休み使ってはいますがね・・・まだまだ途中です。「目覚めた」先に何が待っているのか、それはちょっと怖いような、楽しみなような・・・そろり、そろりといきたいと思います・・・。
▲ by sound-resonance | 2011-12-05 20:10 | オーラソーマ | Comments(0)