ちゅうりっぷ

お花屋さんの前を通りかかったら、色とりどりのチューリップがバケツにたくさん差してあって、綺麗だな、と思わず足を止めてしまった私。早めの春、先取り気分で明るいオレンジ色のチューリップを選んだんですが、今日は「愛妻の日」なんだそうです。「愛妻にチューリップを贈ろう」ということらしい・・・・・ううむ・・・・チューリップ以外のお花でもいいみたいですが、「永遠の愛」という花言葉を持つチューリップがおすすめですよ、ということらしい・・・・ううむ・・・・

私も誰かにチューリップを贈られてみたいものだな、と思いつつ、自力でゲットいたしました・・・(笑)世の中にはいろんな「記念日」があるものですね。
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さて、今日は満月です。美しいお月様が見れますように。

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# by sound-resonance | 2018-01-31 19:40 | 音・色あれこれ | Comments(0)

スーパーでブルーでブラッドなムーン

寒い日が続いております。みなさま風邪など引いておられませんでしょうか。なんだか巷ではインフルエンザも大流行しているようで、今年は、熱の出ないインフルエンザも流行っているとかいないとか。人に全く会わないというわけにもいかないので、どこかでもらってしまいがちな風邪ではありますが、なるべく人ごみをさけて暖かくしてお過ごしくださいませ。

さて、今日は満月のお話。今年は、年明け早々に満月がやってきましたが、1月31日、今年2回目の満月となります。1ヶ月のうちに、2回満月が来ることを「ブルームーン」とも言うみたいですね。そして、今回は、月が地球に接近する「スーパームーン」でもあります。さらに、月食時に、太陽の光が月の縁からかすかに差して月が赤銅色に見える、「ブラッドムーン」でもあるんだそうです。「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」。なんだかすごい。

ま、そんななんだかすごい満月ですが、1月31日の22時27分頃、獅子座の位置でおきます。
サビアンシンボルとしては獅子座の12度、「宵の芝パーティー」というもの。なんだか楽しそうですね。なんというのか、人工的な電飾、ネオンギラギラな夜のパーティーというよりは、自然を活かした夜の子どもの遊びの延長のようなパーティ。たくさんの人が集いますが、主役はあくまで自分、みたいなそんなイメージです。社交的な場所で人脈を広げていくようなイメージ。大人の駆け引きというよりは、子どものようなオープンさ、フランクさで人と集っていくような感じです。

ちなみに太陽の方は水瓶座にありまして、「上へと順に並ぶ階段の上の人々」というものになります。水瓶座というと、支配星が天王星ということもあって、革新をもたらす、未来志向型の星座で、集団を好むというよりは、独立独歩のイメージがありますが、そういう独立した人がネットワークを張っていくといったイメージもあります。ここでは、階段の上へ上へと登っていく上昇志向があるんですが、その価値判断、価値基準がちょっと一般的でない、独自のものであるというところが水瓶っぽい感じ。

この満月は、獅子座の月だけがぽつねんとある感じがちょっと気になるんですが、周りの自然や人に注意を向けて、うまく自分の味方につけることができるといいですね。ま、どちらを選ぶか、なんですが、集団になんとなくなじめないという方は、独特の方法で人やモノをランクづけしていないかを確認してみる、逆に、集団から抜け出たいという強い思いがある方は、自分の独自の視点を発見して、それを貫いてみる、そんなことをやってみるのもいいかもしれません。

どちらにせよ、今回の満月は、かなり珍しいタイミングが重なった満月なので、お天気がよくなって、綺麗な満月がのぞめると素敵ですね。寒いですが、暖かくして、お月見を楽しんでみてくださいね。




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# by sound-resonance | 2018-01-29 20:07 | 星読み | Comments(0)

ルグインさんとゲド戦記

いやはや、寒いですね。昨日は大阪でも雪が降りました。積もるというところまではいかず「雪が舞った」くらいですが、とにかく寒いです。透音も、すっかり風邪を引いてしまい、関節、筋肉が痛いです・・・、ん?私、風邪とインフルエンザの違いがよくわかっていないんですが、関節とか筋肉が痛い全身症状って、インフルエンザなの!?熱はそんなにないんだけど・・・、ま、暖かくして安静にするにこしたことはないんで、週末はおこもりしようと思います。みなさまも、十分暖かくしてお過ごしくださいね。

それはさておき、22日にアーシュラ・ルグインさんが亡くなられたそうです。アメリカの、SF.ファンタジー作家さんですが、「ゲド戦記」が一番有名かもしれません。

「ゲド戦記」は、長らく3部作として知られていましたが、3部作が出版されてほぼ20年を経て、第4部が出版されました。当時大学生だった私は、卒業論文のテーマがなかなか決まらずもんもんとした毎日を送っていました。そんな中、友人から「ゲド戦記」の4巻目が出たという情報をゲット、これはもうこれを題材にするしかない、と決めたものの、なかなか日本語訳が出ない・・・どうも、日本語版の出版が予定よりも遅れていたようなのですが、タイムリミットが近づく中、今さら他のテーマに変更するわけにもいかず、原著で読まざるをえなくなり、必死・・・なんとかかんとか卒論の締め切りには間に合ったものの、なんだかさんざんな内容になってしまい、なんとか及第点はもらえたものの、消化不良のまま卒業、ということになってしまいました。

今でも、時々本当は卒業の単位が足りなくて、仮免許状態、単位取得の執行猶予が迫っているのに、学校に通えていない・・・みたいな夢を見ることがあります。もしかして大学を卒業したと思ってるのは私だけ?と思って、わざわざ実家まで、卒業証書の現物を確認しに行ったことも・・・(笑)、もちろん卒業証書はちゃんとあるので、卒業できているんですが、それだけ不本意な感じが残っているということだと思います。

ゲド戦記は、すでに3部作としての一定の評価を受けていた作品だったので、ルグインが新たな物語を興すのではなく、あえて「ゲド戦記」の続編として4巻目を発表したところに、ルグインなりの、現代社会における問題意識と、それに対する解決の方向性が書かれているのだ、と期待して、わざわざ4巻目を卒論のテーマに据えたんですが、当時の私は、ルグインさんの問題意識はなんとなく感じとったものの、そこに「解決策」は、見いだすことができなかったのです。

それは、私の英語力が足りないからだ、と思っていました。大学卒業後やっと出た日本語訳も、今さら感プラスなんとなく怖くて、読めずにいたんですが、それから数年後に読んでみると、私の理解はあながち間違っていなかったのかもしれないと思うようになりました。

日本語版では、4巻目のタイトルは「帰還」となっていますが、原題は「Tehanu(テハヌ)」です。
テハヌとは、親に焼き捨てられようとした女の子。火の中に投げ入れられたので、ひどい火傷を負っており、顔にもケロイドが残っています。彼女は、2巻目の主役であるテナーに引き取られます。1巻目の主人公、というか、この物語全体を通してのタイトルとなっているゲドは、魔法の力を失い、故郷に帰ってきて、テナーと暮らし始めます。もはや魔法の力を持たないゲド、もはや大巫女ではないテナー、そして、火傷を負った少女、テハヌ。テハヌが、人間と龍をつなぐ架け橋となる子どもであり、次の時代の鍵となるようなことは暗示されますが、彼らを襲う悪意に対して、圧倒的な力を持って対抗し、打ち倒すカタルシスはこの物語にはないのです。

ゲド戦記の5巻目、「アースシーの風」が出版されたのは、4巻目の出版からさらに10年あまり後、物語は、4巻目で長い間宙ぶらりんのままでした。作者であるルグインの中には、4巻が発売された時に、最終巻の構想があった可能性もありますが、結論、未来の見えないまま、それでも、3巻で終わらせてしまうことへの作家としての納得のいかなさから、4巻を書かざるをえなかったというのが本当のところではないでしょうか。

2006年にはスタジオジブリによって映画化されて、賛否両論がわき起こりました。というか、原作を先に読んだ人からはいい評価を聞いたことがありません・・・私も、見ないまま批判するのもと思って鑑賞しましたが、大半の方がおっしゃっているように、また、原作者自身も述べているように、原作とは違った作品であると思ってみたほうがいい作品です。

映画の中心となっているのは、原作でいうと3巻だと思うんですが、どうして4巻目から初めて登場するテハヌを出しちゃったんだろ・・・テハヌの顔の火傷の様子が、ピンク色で色分けされただけの表現だったのからして違和感がありました・・・最後にドラゴンに変身した彼女に世の中を救わせたかったのはわからなくはないんですが、それでは、あえて一旦完結したかのようにみえていた3部作の扉をあえてこじ開けて続きを書き始めたルグインの意図が全く反映されていないのです。

まあ、映画から「ゲド戦記」を知ったという方も多いかもしれないので、そういう方は是非原作を読まれることをおすすめします。

正直なところ、卒論に取り上げたという意味で、ゲド戦記は思い出深い作品ではあるんですが、好きか嫌いか、ということでいうと、また違った感想があったりして・・・フェミニズム色濃い作家だといわれることも多いルグインさんの逝去の知らせに、ひとつの時代の終焉、そして変化を感じずにはおれません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


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# by sound-resonance | 2018-01-27 15:10 | 観る・読む・聴く | Comments(0)

ばーど

大好きな「ブロードハースト」さんのケーキ。
中でも「ニューヨーカー」というチーズケーキが好きなんですが、たまには違ったものを、ということで、「バード」というケーキを買ってみました。ラムレーズン入り。うまい。
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帰ったらブログに書こう、名前を覚えておかなくちゃ、と思っていたのに、散歩途中に名前をど忘れしてしまい、お店に戻ろうか、でもめんどくさい、ともんもんとしながら家に向かって歩いていたところ、ふと目についたのが「バード英会話」という看板でした。そうだった、そうだった、「バード」っていう名前だった。無事にケーキの名前を思い出し、今この記事を書いているわけですが、こういう時に、目に見えない存在を感じたりなんかして(笑)それを天使と呼ぶか、守護霊と呼ぶか、後ろの人と呼ぶかは別として、意外に自分にとって必要な情報は、ありとあらゆる手段を使って伝えられているものだったりするのかも。例えば、道を歩いている時に突然飛び込んできた他人の会話のフレーズだったり、なぜか目についたポスターだったり。そんな偶然のメッセージにも注意を向けてみると、大切なメッセージが隠れているかもですね。
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# by sound-resonance | 2018-01-23 20:50 | おやつ・チョコレート | Comments(0)

身体の声をきく

先日出先でどうしても時間をつぶさなければならなくなり、あまり動き回ることもできず外も寒かったので、仕方がなくコンビニで雑誌を立ち読みをしておりました。といっても、興味を引かれる雑誌もなく、これまた仕方なく「マヨネーズ料理」の本を読んでたんですが、そこにお医者様が「油は好きなだけ取っていいんだ〜!」ということを書いておられるのが、興味深かったです。

詳しい内容は忘れてしまったんですが、カロリー制限のために油分をカットするのはナンセンス、アメリカの統計データでもそれが立証されました、油分は好きなだけ取ってよし、唐揚げOK、とんかつOK、危険なのは、むしろ糖質、ご飯の食べ過ぎには気をつけよう、みたいな内容。

例えば、同じ「ご飯」でも、白ご飯と、チャーハン、どっちがいいか、というと、正解はチャーハンなんだそうです。

で、チャーハンにマヨネーズを使うと、パラパラのいい感じのチャーハンが簡単に作れますよ〜、みたいな展開になっていくわけですが、「健康にいい食事」ってなんなんだろうな、ってちょっと考えてしまいました。

たぶん、これまではカロリー制限というと油分をまずカット、余分な油が落とせるグリルだとか、キッチンペーパーだとかで必死になって油分をカット、健康でヘルシーな食事を心がけましょう、ということだったんだと思いますが、もはや今は糖質制限がブーム、油はいいけど、ご飯の食べ過ぎに注意!なわけですね。

ちなみに私も期間限定でダイエットをしたり、断食したりという経験はあるんですが、普段の生活の中でこれまで油分の制限を意識したことはありません。元々胃腸がそんなに強くないので、油を食べ過ぎるとお腹を壊してしまい、強制制限状態になるので、気にしないというのもあるんですが、適度に油分も摂取しないと、パサパサな感じになってしまうような感じがするから。パンにエキストラバージンのオリーブオイルをたっぷりしみ込ませて食べる時もあるし、炒め物はたっぷりの油でやります。気をつけていることといえば、酸化した古い油を摂取しないようにするということくらい。

食べ物って、普段は全然食べたくないのに、急に無性に食べたくなるもの、とか、「ばっかり食い」していて、急に食べたくなくなるもの、とかその都度その都度でいろいろあるような気がします。以前、体調を崩して激やせしてしまった時に、「肉」が無性に食べたくなったことがありました。しかも、鶏肉でも豚肉でもなく、牛肉。牛肉オンリー。仕方がないので、毎日のように牛肉ばっかり食べていました。エンゲル係数が爆発的にふくらみ、このまま、「牛肉しか食べない人」になっちゃったら破産する〜!と思っていた矢先に、牛肉を食べたくなくなりました・・・・

助かった〜

その間一ヶ月くらい。今は、鶏肉も、豚肉も、牛肉も美味しくいただいております(笑)

なぜ「牛」だったのかはわかりません。でも、なんだかもう身体中が「牛を食え」と叫んでいたわけですね。

身体って案外優秀です。その都度その都度必要なものを「食べろ」とメッセージを送ってくれるような気がします。要はそのメッセージに耳をかたむけることができるかどうか、ということだと思います。

スピリチャルな世界では「肉を食べる」ことがタブーというか、あまりよくないという方もいらっしゃいます。精神性が高くなればなるほどお肉は食べたくなくなるものだ、みたいな。そういう発想からいくと、私の「牛が食べたい」という身体の叫びは、畜生道に落ちたかのような野蛮なステージの低い欲求ということになります。が、私は食べました。人間は精神だけでできているわけではありませんからね。基本的には雑食でいいんじゃないかな、と思っています。

ちょっと話がずれてしまいましたが、要は食べたいものを食べるということ。ブームや、理論に振り回されすぎないこと。何より身体に正直であること。身体は案外いろいろなメッセージを送ってくれていますよ。
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# by sound-resonance | 2018-01-21 20:41 | 音・色あれこれ | Comments(0)